アイより愛し~青の王国と異世界マーメイド~
「…ただし。俺はもう、ここに戻ってくる気はない。もう二度とだ」
リュウが静かに、だけど熱を帯びた声で念を押す。
今度こそもう二度と。この世界に戻ってこられる可能性のないことを。
旧校舎のプールはもうすぐ取り壊される。
夏休みにはいってすぐ。
おそらく明日にはもう――
リュウの言っていた話が本当なら、この世界にはトリティアの開けたという“穴”が、まだいくつかは残っているのかもしれない。
だけどあたしが行き来していたのはあの場所だけ。
おそらく何か、条件があるのだ。
これまでのトリティアが居た時のように。
もし本当に、あと、一度だけ。
シェルスフィアに行けたとして――
今度こそ。選ばなければいけない。
この世界を、この場所を、家族や友達や大事な人たちを。
自らの意思と覚悟を持って、あたしに捨てられるのか。リュウのように。
――お母さんが、死んだ時。
もう二度と会えないということは、死んでしまうのと同じことだと、遥か昔に思っている自分が居た。
遠い遠い場所にいる大事なひと。
会えない時間が長い時をかけて、ゆっくりと自分の内側(なか)からその存在を、殺すのだろう。
会えなくても、どこかで生きていてくれさえすれば、それで良いだなんて。
きみが幸せで居てくれれば良いなんて、そんな大人にはなれない。
傍に居たかった。
近くに居たかった。
死ぬならせめてあたしの隣りで、最期にはその瞳に、あたしを映してほしい。
それがどんなに身勝手で傲慢な望みか、解っていても。
それを願わずには居られないから。
だから人はきっと、傍に居る理由を必死に探して、見つけて。
そうして共に生きようとするんだ。
それが、きっと――
きみを思い出にできたとして。
それでも最期にはきみを思い出して、あたしも…同じ場所に向かうのだろうか。
――でも、あたし達は。
あたし達が向かう先は、きっと。
同じじゃない。
世界は、越えられない。
あたし達は同じ世界では、生きられない。
「……!」
それでも。
あたしは……!
「…行かないで」
そう、呟いたのは。
ずっと隣りに居た、七瀬だった。
「…七瀬…」
ずっと、聞いていたのか。
途中からすっかり失念していた。すぐ近くに居たことを。
周りに居た他のみんなは、あたし達を気にしながらも既に自分たちの会話に夢中になっている中。
七瀬は、ずっと。
「また、どこか遠くに行く気…?」
そう訊いた七瀬の声は、少しだけ震えていた。
その瞳も戸惑いと不安で揺れている。
そこに僅かに見える、強い意志も。
七瀬にはあたしが忽然と姿を消したところを見られている。
すべてを理解はできなくても、おそらくぼんやりと。七瀬には状況が見えているのかもしれない。
七瀬の目の前で消えてから、あたしがどこか遠い場所に居たことを。
それがおそらくそう簡単に、行ける場所でも帰ってこれる場所でもないことを。
ぎゅっと。固く握っていたあたしの拳を七瀬の大きな手のひらが覆う。
引き留めるかのように、逃がさないように。
そんなあたし達を横目で見てリュウは、メガネのフレームを押し上げる。
「…お前の知らない、ゲームの世界の話だ。マオ、とにかくいったんこれで、借りは返した。後のことは、すべて片づけてからだ」
取り繕うように誤魔化して、リュウは席を立ち教室の扉に向かう。
それを視線だけで見送りながら、あたしは七瀬の手を振り払えずに居た。
チャイムが鳴る。最後のホームルームが始まる合図。
がたがたと自分の席に戻る生徒たち。
だけど七瀬は動かない。
あたしもその目から、逸らせなかった。
「…七瀬は…あたしを、殺せる…?」
ようやく絞り出したあたしの言葉に七瀬がその目を丸くして、それからあたしの意図を探るような視線を向ける。
あたしは多分、少しだけ笑っていて。
そしてもう既にあたしの中で、答えは出ていた。
心はとっくに決まっていた。