アイより愛し~青の王国と異世界マーメイド~


 今きっと、自分たちの身すら危うい状況なのに。
 それでもイリヤはあたしのことを心配して涙を流してくれている。
 そうしてあたしという他人に心を差し出してくれる人がいる限り。
 あたしにもそうする権利があるはずだ。
 それは誰にも止められない。
 止める権利などない。

「あたしの心はもう決まってる。もう誰の忠告もきかない。イリヤはどっちだってきっと、泣くでしょう? だったらあたしの傍で泣いてよ。例えまたあたしが、無力なあたしになったとしても…その涙を拭うことくらいは、できるはずだから。その為には傍に居なくちゃ、それも叶わないんだから」

 きっぱりと言ったあたしに、イリヤはまた電話の向こうでか細く声を上げた。
 守りたいなんて傲慢だと今でも思う。
 ただ、あたしは。
 失いたくない。
 それだけなんだ。

「とにかく、状況は分かった。“ずれ”があるから、すぐにとは言えないが…そちらに向かう。それまで持ちこたえろと、双方の王に伝えておけ」

 リュウは言うだけ言って一方的に通話を切ってしまった。
 それから携帯をあたしに付き返す。
 それを受け取りながら、歩みを止めないリュウの横顔に問いかける。

「どうやって、イリヤと…」
「俺の携帯を持たせていただけだ。簡単な操作方法だけは伝えていたしな」

 なるほど。あたしの携帯から自分の番号にかけ、それをイリヤが出たというわけか。
 そうだ、何故か。
 繋がるのだ。このラインは。
 ぎゅっと。固く携帯を握りしめる。
 ほんのりと熱の篭った温もりを。

 リュウは校舎から出ると裏庭の方へと足を向けた。
 行先を知らされないあたしは、まっすぐと目的地に進むその背中を必死に追いかける。
 整備された様子のない雑草混じりの砂利道を抜け、木々の生い茂る中を必死に進む。
 腕や足にいくつもの掠り傷ができても気にしているどころではない。
 この先に一体何があるのか見当もつかない。
 道らしきものがあるということは、どこかに続いているのだろうけれど――

 やがて行き着いたそこは、とても小さな祠だった。
 学校の敷地内にこんな場所があるなんて知らなかった。
 ここにこんな、忘れ去られた神さまが居るなんて――

「セレスとの繋がりが弱まっている」

 言って足を止めたリュウが、おもむろにシャツをたくし上げて肌を晒す。
 視線の先にあるのは赤い紋様。
 それがわずかに掠れて薄れていた。

 見たことがある。全く同じものではない。
 だけどそう、確か。アトラスに乗っ取られた、アールの体にも同じようなものがった。
 海の神々との契約の刻印。
 リュウの心臓の上にあるこれはきっと、セレスの刻印。
 セレスとの契約の証なのだろう。

「…シェルスフィアの少年王の、呪いの話はエルから聞いている」
「…!」

 突然、何を。
 だけど忘れていたもうひとつの脅威が唐突に思い出される。
 シアがその身で受けている、命を奪う呪い。
 例え戦争(いま)を無事に越えられたとしても、その呪いを解かなければシアの命は零れ続けるだけ。

 思えばそれが、あたし達の――はじまりだった。

 リュウは乱れたシャツを直しながら、再び歩みを進める。
 あたしもその後へと続く。
 おそらく目的地はこの近くで間違いなく、歩みはひどくゆっくりとしたものに思えた。気持ちが急(せ)いでるせいだろうか。

 小さい祠の更に奥。
 木々に隠されるように、護られるように。
 だけど光の降り注ぐ、開けた場所に出た。

「王族の体に現れたというその呪印を、お前は見たことがあるか」
「え、や…ない、けど…」

 シェルスフィア王家の命を次々と奪った、呪いの呪印。
 それが体に現れ、シアの家族は、親族は…皆死んでしまった。
 ひとり残ったシア以外。
 そしてその呪いは今もなお、シアの体を蝕んでいる。

 だけどひとりだけ例外が居た。
 呪印の現れなかった唯一人。
 シアの義兄、シエルさんだ。
 当初術者はシエルさんだと疑われ、そうして国を追われることになった。
 話だけは聞いていたけれど、それを実際に見たことなど一度もない。

 答えたあたしに、リュウは目を細める。
 意地の悪そうに、皮肉を込めるように。

「一度でも目にしていたなら、おそらくどこかで気付けただろう。お前なら」
「…どういうこと…?」

 やがてリュウは歩みを止める。
 ぴたりと、目的の場所の前で。

 目の前に現れたのは、古びた井戸だった。
 殆どが壊れかけていて、もはやその役目を成していないことは一目瞭然だ。
 ぽっかりと穴の開いたその奥で、水音だけがやけに耳につく。
 おそらく、地中ではない。
 どこか別の場所に繋がっている。
 そう確信があった。

「その呪印は、建国王――初代シェルスフィア国王と、“女神リズ”との契約の証。だけど永い時の中、約束は少しずつ違えていった。その果てが呪いとなり、王家の命を奪った。はじめからそういう、約束だった」
「…リズさん、が…?」
「正しくは、その名ではない。その真名(まな)を彼女に還さない限り、呪いは決して解けないだろう。…エルがいうには、だがな。そしてそれを知っているのは――おそらくもう、世界でただひとり、お前だけだ」

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