God bless you!~第6話「その手袋と、運命の女神」・・・文化祭
つまり、嫌だけど歩み寄る
〝華道部〟
こういう時でもなければ、普段は全く接点のない団体である。
あちこちが水で濡れ、切り取られた葉っぱや茎で、そこらへんが独特な匂いを発していた。
後輩女子がこっちに向かってやってきた。
こういう類の部に必ず居そうな、大人しそうな雰囲気で、「明日は小さな花束を売るんです」と言って試作品を見せられた。
〝プチ・ブーケ200円〟。
「これ余り物で作ったんですけど。よかったら」
成り行き上、受け取った花束は、余り物とは思えない程に豪華なバラとかすみ草だった。プチという文字が似つかわしくない程に大きい。どう考えても、お家でお楽しみ下さい♪とは見えない。
「実は、このバラは造花です。節約で」
「え、そうなの?リアルだね」
後輩女子は、にっこりと笑って、
「これで、コビトさんの機嫌が直るといいですね」
何も言うまい。
ブーケを狙ってここに居ると思ったら、とっくに消えて、その先のゲーム模擬店に、桐生と右川、そして桂木もいた。「これ、サインが消えちゃったよ」と、桐生に油性ペンを渡している所から察するに、桂木はダメ雑貨のリペアを迫っているようだ。
俺が握る花束を見て、桂木の目が見る見るうちに好奇に染まる。
俺は模擬店で立ち働いている坊主頭の後輩に声をかけ、「クラスで飾ってよ」と、その花を押し付けた。
それはいいとして。
右川は一応女子だからともかく、桐生までやたら可愛げのある花束を握っているとは、まるで悪夢だ。一体どこまで右川に洗脳されてしまったのか。
女子に注目の的のイケてる桐生が、こんな底辺の女子(桂木は別)と行動を共にしている事自体、もうおかしい。
「ちょっと来いよ」
俺は乱暴に右川を呼びつけた。
右川は、「喜んでーっ♪」とばかりに前乗りで付いてくる。お菓子は持っていない。オゴるとは一言も言っていない。何だ、そのノリノリは。
桂木と桐生が揃って、「「ひょお~」」とか言ってるな。
相方変わって、息の合った良いコンビ。
「行く行く行くぅーっ♪行く時はぁ~、一緒だよぉ~♪」
右川は周囲に嬌声をバラまき、そこら中で、ひゅぅ~ひゅぅ~と木枯らしを連発させた。
〝フラれる〟以前に逆戻り。そう来られると、急に突き飛ばしたくなるな。
誰も居ない松下さんのクラスまで右川を誘い込んだ。
ここなら誰の目を気にする事無く話が出来る。
〝そんなに嫌ならやめてもいいけど。こっちだって、お前と居ると疲れるし〟
喉元まで出掛かった言葉を1度、飲み込んだ。これはまるで、彼女に別れを切り出す男の台詞だ。
〝気持ちと行動が逆〟
つまり、嫌だけど歩み寄る。
それで、この状況を〝裏返す〟事が出来るだろうか。あの占いの通りに。
右川は花束を教卓に置いて、3年教室のあちこちを珍しく眺めながら、「カラオケで練習だってさ。凄いね~」と、その黒板にお馴染み、まんまるちゃん♪を落書きしている。
「あのさ、立候補の事だけど」
様子を窺いながら、俺は1度深く深呼吸した。
「もういい。おまえの好きにしろ」
落書きの手が止まる。振り返ったその口元は〝辞めてもいいの?〟と、そんな期待感で綻んでいた。その証拠にエクボが……そうは行くかって。
「生徒会のお菓子は好きなだけ食え。備品も、困らない程度に持って帰っていい。宿題も見てやるし、追試の課題にも付き合ってやる。俺を都合良く、好きに使えよ」
だから立候補しろ。
絶対、当選させる。
おまえが会長やれ。
右川は、微妙な落胆を見せた。これだけの好条件。それを一瞬で棒に振っていいものかと、打算と迷いが仄見える。
「……あたし、3時半には帰るけど、それでもいいの」
「妥協して、それか」
「100歩譲って、ぎゅっと絞り出して、それだよ」
「普段はいいけど、今みたいな行事の時は、そうは行かないって」
「なら、やらない。秋は特に忙しいもん。面倒くさい事に関わりたくない」
「とか言う割に、文化祭は準備から熱心だな。随分あちこち見て回って。俺なんかよりやたら詳しいじゃないか」
「だって、今日見ておかないと。明日も明後日も来ないから」
「え?」
「だーかーらー、来ないの♪アキちゃんを手伝わなきゃ」
まさか文化祭まで。
驚きが隠せない。
こんな〝裏返し〟は予想していなかった。
修学旅行の時とは違い、生き生きと楽しそうにクラス準備や模擬店の巡回に勤しんでいると思っていただけに、そこは意識の外だった。
「そんなこと言って、クラスとか部活とか役割があるだろ。どうすんだよ」
「5組も茶道部も、あたし一人じゃないんだから平気でしょ」
「平気な訳ないだろ」
「平気だよ。去年も来てないけど平気だったもん」
文字通り、ア然とした。「ウソだろ」阿木は何をしていたんだ。
「誰も何も言わなかったし。先生にはこっちから言わなかったし」
「今年は許さないからな。山下さんが認めない。学校活動を大事にしろって言われただろ」
「げほっ。げほっ」
「クソ芝居すんな」
「あんたがチクんなきゃバレないんだよ。てことで、欠席しまーっす」
「それは山下さんに対する裏切り行為だ!」
思わず大声を上げた。
右川は一瞬、芝居とも思えない切ない表情を見せる。
裏切りとまで決め付けて、ちょっと利き過ぎたかな……同情している場合じゃない。そんな油断を狙って付け込まれるんだ。
「会長立候補。おまえが受け入れないというなら、俺は学祭が終わって速攻、山下さんにお願いに行く。土下座でも何でもやるからな。覚悟決めろ」
右川が一体どう出てくるのか。
教室の外、校庭からは賑やかな声が聞こえる。誰かが鳴らすピアノ演奏も流れてくる。バタバタと廊下を、何人もの男子女子が通り過ぎて……どれだけの間、黙り込んでいただろう。
右川は、最初こそ俺を睨んでいたものの、途中から何かを迷うように、ふらふら目を泳がせた。また妙な事を企んで、逃げ出そうとしているかもしれない。
右川は、パッと顔を上げた。思わず、身構える。
「3時半だ。じゃ、帰るね」
俺はカッときて、その肩を掴んだ。
その瞬間、俺の手首から指の付け根まで、一瞬で10センチ程の血のラインが走る。肩を掴まれた右川が驚いて振り返った時、何か硬い物が手に触れて、それが手の甲を1本、鋭く引っ掻いたのだ。痛みは一瞬で、見ていても、それほど深い傷ではない。だが、その鮮血は右川の白い制服シャツを汚した。
「あ、ごめん!」
怪我した側から謝られた事に、右川は混乱したのか、辺りをグルグルと見回した。やがて、はたと気付いて、
「あああ、あ、あたし?あたしが、やっちゃった?」
背中を向けたと同時にスマホを取り出したらしい。思い当たる事は、それ。
ジャックに付けていたキーホルダーを見せながら、
「もしかして、これで引っ掻いちゃったかも」
何だか色々とブラ下がっている。そこには、いつかの赤ヘル・キューピーも健在だった。
「どうなの。見せて」
右川が心配そうに俺の手を覗きこんだ。怪我の心配というより、自分が悪い事をしたという引け目にも似た感情だという事は、十分分かっている。
手は、いつ切れて傷になっても仕方ない状況にあった。細かい傷なんかは日常茶飯事で、治りかけた側からまた紙でヤラれる。今のような季節と行事の最中は特に……そんな説明をしながら、俺は傷の上を何度も撫でた。
いつものようにサッと水で流せば消える。テーピングで隠せば分からない。
「いいよ。気にしなくて」
行けよ。
3時半。
例え、俺が血だらけで倒れても、おまえは意気揚揚と右川亭に向かうだろう。
右川はポケットをゴソゴソとやり、「はいよ」と何やらチューブを取り出した。
「柚子と生姜のクリーム」
それは塗るのか食べるのか。こっちが軽く混乱していると、右川はそれを、ちゅっと取り出して、ぺとぺと……そのゴム手で、俺の手に塗りたくった。
いつもよりゴム手袋がブ厚くなっているように感じて、何だか大袈裟な治療を施されているような気分になる。
伝わりにくいとは言え、やっぱりこれは右川の思いやりだと感じられてくると、されるがままになっている自分が、急に恥ずかしくなってきた。
「もう、いいよ。後は自分でやるから」
手に残ったクリームをすり込んだ。
ユズ?ショウガ?制汗スプレーともコロンとも違う穏やかな甘い香りがする。穏やかと言っても、そこは薬だ。小さな傷にもピリピリと沁みた。
「あんたガサガサじゃん。こういうの、いちいち付けた方がいいよ。放っとくと、そのうち何触っても痛くなるんだから」
このまま放っとくと、確かにそうなるかもしれない。
部活中に血を見ると、「おまえが切れるのはいいけど、バレーボールを汚すんじゃねーぞ」と、武闘派からは、そんな嫌味まで言われている。
右川は鼻先で少し笑って、「食材汚すなって、あたしも良く言われるよ」
それでゴム手袋か。
何となく、そういう〝おまじない〟のような気がしてきた。
「水と洗剤でヤラれちゃって、アキちゃんも大抵そんな感じのくせにさ」
それで、こうして薬を持ち歩いているという訳か。
学校なんかどうでも良くなる程、思いを寄せる相手。それはそうだろうけど、模擬店を楽しんでいる様子からして、文化祭をどうでもいいとそこまでは……右川は思っていない筈だ。山下さんの事が無かったら、みんなと同じように明日も明後日も出てくるに決まっている。
程なくして右川はスマホとチューブを仕舞うと、
「じゃ、帰るね♪」
意気揚揚と向かっていった。
その背中に向かって、無駄かもしれないけど、「明日も、ちゃんと来いよ」と声を掛けた。
右川は、1度も振り返らない。



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