God bless you!~第6話「その手袋と、運命の女神」・・・文化祭

毎日、ばい菌

「待って!あたしも一緒に帰る!」
俺は、思いがけず手が出た。駆け出す右川の袖を鷲掴み、
「何言ってんだよ。後片付けとかどうすんだよ」
右川は切ない目で山下さんの背中を追いながら、どこにそんな力があるのか、「どいて!」と全力で俺の手を振り払った。半分転がりながら、右川は山下さんの腕にすがって、
「すぐ準備するから、ここで待ってて!」
まるで、パパ・ママ行かないで、と泣いてすがる幼稚園児だ。
「カズミ」
山下さんは、恥ずかしいと驚きを交互に味わうみたいに顔を歪めて、
「沢村くんの言う通りだ。文化祭、ちゃんと最後までやれ」
「えぇー……」
「学校行事サボったって知ったら、伯父さん、何て言うかな」
途端に、右川は意気消沈。まるで無抵抗になる。
「悪いね。沢村くん、後は頼むよ」
と、頼まれてしまったはいいけれど……これまた手強い。
右川は半ベソでその場に立ちっ放し、凹んだまま身動きが取れないでいる。
そして、まるで祈りを捧げるみたいに両手を組み、山下さんの背中を見守っていた。想いが通じたのか、そこで山下さんは1度振り返ると、「ちゃんと晩メシ買って来いよ。カズミの好きなファミマのプリン、用意しとくから」
それを聞いた途端、「うんっ!」と、右川はたちまち笑顔を躍らせて、
「あたしが帰るまで、晩ゴハン食べないでね。ちゃんと待っててね。終わったらすぐに帰るからね」
右川は山下さんに駆け寄って、腕にしがみついた。
女の情念。というより、見苦しい子供の我儘にしか思えないけど。
その時、いつかのように山下さんは首だけでこちらを振り返った。
いつかのように、穏やかな微笑みを浮かべて……そんな〝謎の期待感〟。
その正体は、〝これから学校でカズミをよろしく〟ではないだろうか。

ちょうど、3時半。
色々な意味で、呪いが解ける瞬間が来た。日も翳ってきた。暖かみのある日差しの中にも、秋らしい夕暮れの予感が届けられる。
山下さんの姿が見えなくなった途端、右川の態度はガラリと変わった。
「ねー、後夜祭って、何時に終わるの?」
どこで調達したのかピザをがぶりとやり、アッという間に3口で平らげる。
後夜祭の時間は、今まで何度も聞かれた。だが終わる時間を聞かれたのは、これが初めて。
「予定では7時だけど、毎年色々あって時間がズレこむと思う」
「ちゃんと終わらせて」
「そんな事言ったって」
薄暗くなると妖しい気分も盛り上がり、カップルにとっては、後夜祭が最大のイベントだ。盛り上がれば盛り上がるほど、それだけ時間は押してくるもの。
「今年はヴァイオリン演奏が飛び込んできたから、その分長くなるかもな」
「そこを、どうにかケジメをつけるのが生徒会でしょ」
「無茶言うなって」
「強制的にブチ切ればいいじゃん」
「バカ言うな」
本当にこんなのが会長でいいのかと。(何度目の!)
「ねぇ、明日ってお休み?」
「午前中で片付け。午後からフリー」
俺達はさっそく部活だ。
「じゃ、今日片付けたら、明日は来なくていいよね」
「ダメに決まってんだろ。片付けも行事のうちだからな。山下さんに言われた事、忘れんなよ」
〝ちゃんと最後までやれ〟
水戸黄門の印籠の如く。これでぐうの音も出ない。
これはまるで……俺が山下さんと〝蜜月〟になり、〝可愛い存在〟として認められ、もうノリノリでこっちの味方になってもらおう!の図であった。
ただ1つ言える事は、俺と山下さんの間には、駆引も取引も、脅迫も無い。
右川に正しい事をさせようという目的の元に、強く一致している。
正義やモラルを振りかざすよりも、繋がっている気がした。日本も、あの国もアメリカも、本来こうあるべきなのだと。(だろ?)
右川が茶道部に1度戻ると言うので、成り行き上、俺も付いて行った。文化祭終わったよ♪と、山下さんにウソをついて帰ってしまう可能性もあるのだ。ここで目を離してはいけない。
部員も誰も居なかった。〝ただいま、巡回中〟とあるが、茶道部が何を求めて何処を巡回するというのか。3時を回った途端、暇な団体がサッサと片付けを始めるのは、いつもの事だが。
「てゆうか、お金置きっ放しかよ」
金庫代わりの菓子缶が受付に、そのまんま。阿木が見たら卒倒するだろう。
右川は受付周りをゴソゴソと、自分の手荷物を整理し始めた。どうみてもそう見えた。
「何やってんの」
「帰る準備だよ」
俺は溜め息をついて、「山下さんは、ただ学校に居ろって言った訳じゃなくて、ちゃんと充実させろって事」
「だから何?生徒会やれって?」
右川は、着替えるため(だと思う)カーテンの向こうに消えた。
くぐもった声だけが届く。
「言っとくけど、それもう地味にありえないからね。あたし毎日忙しいんだもん。そういうのは、あんたがやりなよ。そういう分野が得意なヤツが、能率良くパッと終わらせてくれちゃうのが、みんなにとっても1番都合良いと思うしさ。あんたガチでツマんないけど、そういう取り柄はあるんだから活用しないと。せめて学校生活、充実しなきゃでしょ~。彼女居ないんだからヒマでしょ?ちゃんとやりなよ♪ちゃんと、ちゃんとねぇ~♪」
カーテンの向こうに殴り込もうかと本気で思い始めたそこに、「お待たせですぅ」と茶道部の後輩女子が2人、受付に戻ってきた。
金庫置きっ放し。さっそく説教をブチ上げた俺に向けて、「すいませーん」と一瞬だけ萎んで見せたのも束の間、すぐに立ち直ってにっこり笑うと、「コビトさん、ですか?」と、カーテンを指さした。
〝コビトさん〟。もはや1年の間では共通言語か。
「阿木部長からなんですけどぉ」と、女子はカーテンに向かって声を張り上げて、「後で来るから、それまでにお金まとめておいて欲しいって、ですぅ」
それを聞いた右川が、「えーーー、マジぃ」と、情けない声を上げる。
俺は鼻で笑った。
阿木の引き止め作戦が発動したという事だろう。(いい気味。)
「右川先輩、私ら、使ったお皿とか漂泊してきますからぁ」と、女子の1人が、いつかの右川と同じようなゴム手袋をはめて、バケツと洗剤を手に取った。
「ちょっと水場に行ってきまーす」
そこでもう1人の女子が、また別のゴム手袋を目にとめて、
「あ、右川先輩。これ捨てるんですか?それともまだ使いますかぁ?」
右川から何の反応も返って来ない。
女子はそのゴム手袋を手に取って、「消毒しときましょうかぁ?」
右川からは、やっぱり何の返事も返ってこなかった。聞こえているかどうかも分からない。
「この手袋って、消毒して使うの?」
「普通はそんな事しませんよぉ。100均ですもん」
「はい。こんなのは使い捨てです。だけど右川先輩が、それでも勿体ないから消毒して使うって言うんですよ」
右川亭・節約術はここでも。確かに、右川本人がヘビロテ、毎日のように使い回しているな。
「ずっと手袋。コビトさんって、意外に潔癖症なんですね」
「いや、あれは……」
潔癖症ではなく、歪んだ〝恋のおまじない〟。それを教えようとしたら、
「毎日、ばい菌に触るから、病気が伝染るとかって大騒ぎですもんね」
「ばい菌?」
「はい。それはノロウィルスが泣いて怒る程の破壊力らしいです」
毎日触る、ばい菌。
「うっかりウケちゃいますけど。いつも大袈裟なんですよねぇ」
「小さいのにねぇー。むむむ」
ふーん……ここでちゃんと声に出た事が不思議だった。
現状の把握に頭が追い付かない。いや、もうぼんやりとその輪郭が現れて。
そして、それはインフルエンザ級の破壊力でもって、俺の脳髄を攻めてくる。
黙り込んだ俺をそっちのけ、後輩女子2人は賑やかに雑談を続けた。
「手の平の魔除けは、効果無かったんだって。そんなの信じてるんだって逆に感心しちゃったよね」
「知ってる?コビトさん、こないだから急にゴム手袋2枚重ねてるよ」
「はぁ?何で?もったいない」
「最近、想定外に手が穢れたとかで」
「てゆうかこれ、いつの間にか3枚になってるんですけどっ」
「うそっ」と、女子はゴム手袋を手に取って、「うわ。ホントだ」
「もお、いちいち消毒してらんないでしょ。これで濁しちゃおか」と、そのゴム手袋に向けて何やらをスプレーした。「これ、単なる消臭スプレーなんですぅ」と、何を訊いてもいないのに教えられる。
「こんなに重ねて、節約の意味無くないですか?ますます勿体ないですよね」
俺は苦笑いを作った。何とか笑えた。不思議なくらいに。
「さっきのあれ何?コビトさん、水場で大暴れ」
女子は笑いながら隣の女子の肩を叩く。
「爆弾喰らったんだって。明日からマスクしてくるってさ」
「まさか、それもまた消毒?3枚重ね?」
「さすがにそれは有りえねーって感じ」
2人はその辺の事態を詳しく知らない様子だった。
こっちは身に覚えが有りすぎる。
2人の会話を聞きながら、屈辱の事態が、はっきり形を成してきた。
会話に置いてけぼりで、俺がツマんなそうにしていると勘違いしたのかもしれない。後輩女子は、「沢村先輩?」と、俺の気を引いて。
「コビトさん、死んじゃう勢いで水に顔突っ込んでましたけど、大丈夫ですからね。早まっちゃダメ!って、2人で必死で引き止めましたから」
「ほら、ちゃんと生きてるでしょ?」
2人は俺に向けて笑いを誘った後、「じゃ、行っちゃいますねー」と、カーテン向こうの右川に声を掛け、俺には恭しく一礼して、2人共去っていった。
一連の会話の流れから、会長候補・生徒会公認・右川カズミは日常的に後輩から程良くナメられている……改めて、それが良く分かった。
俺は、その場にへばりつくゴム手袋を、しばらくの間、ジッと見つめる。
手に取った。
確かに3枚重ねてある。明日からマスクも使うのか。
ここまで屈辱的な事は今まで1度たりとも……あった。あったな、確か。
俺は手袋を拳にギュッと固く握りしめた。
こうでもしていないと、どうにも感情が暴れる。
滅菌と感じていた事は、あながち間違いではなかった。
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