God bless you!~第6話「その手袋と、運命の女神」・・・文化祭

「おまえいっぺん……死んでみるか」

「魔除けって……そこまでやるか」
〝毎日ばい菌に触るから、病気が伝染る〟とは、それにまつわる様々な行為を思い出すだけで、憤りが込み上げる。触ってきたの、そっちだろ。
〝手が穢れた〟とは恐らくあの日、俺に手を握られた事を言うのだろう。それで2枚重ねにしたのか。分かり過ぎる。また何で急に3枚も……そこでピンときた。
一昨日の、柚子と生姜のハンドクリームだ。
ぺたぺたと俺の手に触れて、それで3枚目に突入か。
〝思いやり〟それで補ってもお釣りが来る。いや、こうなってくると、あれを思いやりと感じること自体が屈辱の極み。人を馬鹿にするにも程がある。
……キレそう。
そんな現状を露ほども知らない右川が、着替えを終えてカーテンから出て来た。
「うわ!びっくりした……まだ居たの」
そこでスマホを覗いて、恐らく山下さんにメールしたのだろう。顔がニヤけているから、すぐ分かった。スマホを閉じて、右川はペンで何やら伝言らしきものをメモにサラサラと書く。
〝アギングへ。あたし、やらないよ~ん♪〟と読めた。
「うわ。もう3時半。あたし終わった事にしちゃうからさ。じゃ、帰るね♪」
「……帰れないぞ」
「大丈夫♪金庫は秘密の場所にちゃんと隠したからさ。ちゃんとね~♪」
俺は、右川の手からペンを奪った。
ビクンと体を震わせて、右川は動きを止める。
「帰るなっ!」
右川は俺の剣幕に驚いて、目を見張った。
白いシャツは、昨日付いたままの俺の血痕が残ったまま。もう落ちないだろう。
さっき飛ばしてしまった抹茶の染みも、首元に小さな粒となって残っていた。
その対照的な色合いに、俺は意識を奪われている。
緑と赤。
進め。止まれ。
逆の……気持ちと行動。
「か、返してよ」
俺は、ペンを取り返そうとした右川の手首を掴んで、カーテンの向こうに引き込んだ。これで誰にも見えない。その身体を壁に押し付けて、屈辱の壁ドン。
ゴム手袋を握った怒りの拳を、右川の目上に掲げた。
「この手袋。何だよ」
「だから……お、お、おまじないだよ」
「〝伝染りませんように〟ですか」
一瞬で右川の顔が引き攣った。〝バレた。ヤベぇ〟と読める。
「明日からはマスクだって?俺はウィルスの扱いか」
ハンドクリームを思いやりと受け取って、いい気になっていた自分は愚か者だ。
冗談ではなく、右川は本気で俺をゴミ扱いしたのだ。
「おまえは、やり過ぎた。こっちはすっかり歪んだ。歪めたのは、おまえだからな!」
右川が片手に抱える浴衣がストンと床に落ちた。と思ったら、これ以上の接近を阻止するべく、
「たあッ!」
右川は俺の胸に一撃を食らわせる。それは肋骨にドン!と響いて……それだけ。
当然と言うか、180センチの大台にコビトの一撃なんかビクともしない。
次は足蹴りが来ると確信して、右川の足の間にスッと右足を滑り込ませた。
これで、どうにも動けないだろう。右川の、その表情は見る見るうちに怯えた目つきに変わった。かと思うと、すぐに両手をパチンと合わせる。
「わ、わかった!わかったっ!ごめん!すまんのぅ!さーせん!あたしが悪かったっ!この通り謝るからっ。機嫌なおそ?ね?」
力が及ばないと分かると、次は謝り倒す。目的のためなら、とことん。
プライド無いのか!
だが、また一瞬の隙を突いて、ドン!と拳を食らわせてきた。謝ったのは単なる口先だけの事だと、それがよく分かる。どこまでヤリ込めて追い詰めようかと考えながら、とりあえず1度、拳を頂点に振り上げた。
拳1つ挟んで、右川とここまで近い距離に居た事は、今まで1度も……あった。
あったな、確か。
「おまえいっぺん……死んでみるか」
見る見るうちに、右川の瞳に涙の潤いが滲んだ。
大袈裟な。
ちょっと言葉を借りて、味付けしただけ。
そこまで怯えるような事など何一つしていない。
だが気が付くと……俺がさっきまで握っていた筈のゴム手袋は、いつの間にか落下。そして振り上げた俺の右手は奪ったボールペンを握り、その尖った切っ先が真っ直ぐ右川に向かっている。
結果的に〝俺に逆らうと刺すゾ!〟というエゲつない脅しを掛けていた。
試しに、勢いボールペンをさらに高く掲げると、右川は強く目を閉じて、「ひぃっ!」と悲鳴を上げる。ますます小さく、縮こまった。
「ごめんごめんごめんっ!許してっ!あたし、死にたくないっ!」
……笑ってはいけない。
よりにもよって、こんな重大な局面で、破壊力抜群の笑撃が込み上げてくるとは。プルプルと(笑いで)震えながら、この振り上げた偶然の脅威を、次はどうしようかと迷っていると、
「わ、分かった!あたし立候補するっ。会長やるっ!やりますっ!それで許してっ!お願いっ!」
右川が涙目で訴えた。その様を見ていたら、また笑いが込み上げて来て、吹き出しそうになる。今は飲み込め。抑えろ。
「そう言ってこの場から、とりあえず逃げ出そうとか思ってんだろ」
「そんな事ないっ!ホントだよっ!やるから!マジで!」
「どうせ後になって、あれ止めた♪とか言ってさ」
「そんな事言わないっ!もう言わないっ!」
「何を言ったからって何が何でもやらなきゃって決まりは無いんだし?」
「やる!絶対にやる!言ったからには確実にやるからっ!」
うっかり力が緩んだその隙に、俺の腕を乱暴に振り払って、右川が脱兎のごとく駆け出した。やっぱり、その場限りの言い逃れじゃないか!
後を追いかけて部屋を出ると、通路のド真ん中、たまたまそこを通りがかった桂木に、右川は転がる勢いでしがみついた。
「た、助けてっ!あたし、沢村に殺されるっ!」
ヤバい。
瞬時に、俺は顔を斜め伏せ、腕に顔を埋め、猛烈に襲ってくる笑いをコラえる……つもりが、もう我慢できない。ぶはッ!耐えきれずに吹き出した。
あはははははは!
腹を抱え、ヒザを叩いて、ゲラゲラ笑う。
それが功を奏したのか、
「もぉ……いつまでも、何を仲良くフザけてんの?」
桂木は、右川の訴えを全く真に受けなかった。
「沢村にフラれて?お次は殺されちゃうの?忙しいねー、面倒くさいねー、よしよし」
桂木は、にっこり笑って、右川の頭を、まるで母親のように仕切りと撫でる。
「マジでっ!たった今!こいつに目を潰されるとこだったんだからっ!」
ひー、お腹、痛いぃ。
「沢村がそんな事する訳ないじゃん。ちょっとフザけただけでしょ」
「違うっ!あいつガチだった!殺意があった!」
「またそんな大袈裟な事ばっかり言って」
あははははは!
狼少年ならぬ、狼少女・コビト。誰も、おまえの言う事なんか信じない。
それでも、「沢村に刺される!潰される!殺されるっ!」と連発する右川に向けて、桂木は、「それぐらいされても仕方ないんじゃん?フラれたって言い触らして、迷惑掛けたんだから」
血だらけで訴えない限り、何を言っても冗談としか受け取って貰えない。
そう判断したであろう右川は、怯えるような目を俺に向けた後、「ぎゃッ!」と、その場を全力で逃げ出した。
あははははは!
愉快愉快。
「右川、どうしちゃったの?」
「ははははは!」
「さ、沢村、大丈夫?」
「ははははは!俺も、どうしちゃったのかなっ」
困惑する桂木は、「2人揃って、仲良く感染?」それが1番納得いくと、笑い混じりで頷いた。ははははは……こっちは、まだまだ笑いが止まらない。
「なーんか、変なの」と、より一層、桂木を困惑させてしまう。
「あ、忘れるとこだった。1組で桐生くんが呼んでるよ」
笑いを押し殺して、思わず、その顔を覗きこんだ。
「呼んでるのって、俺?でいいの?」
桂木はその意味を探って、目を丸くする。とは言っても、トボけているのか、本当に意味が分からないのか、はっきりしないな。
「確か、沢村って聞いたけど」
「……分かった」
これ以上は攻めてはいけない。桐生の一件は、俺の中で勝手に踊り出し、たまーに、その真相を探ろうと暴走したくなるのだ。いけない。いけない。
茶道部で置きっ放しのお金が気になって、くっ付いてきた桂木と共に、俺は1度茶道部に戻った。なーにが秘密の隠し場所なのか。カーテンの向こうに荷物と一緒に丸投げである。
桂木に理由を話し、部員が戻ってくるまでお金をまとめてくれるよう頼んだ。
右川はスマホを放り出したまま。荷物も浴衣もそのまんま。
よっぽど慌ててすっかり忘れているに違いない。ヤベヤベ。思い出すと、また笑いそうになる。俺は右川のスマホを自分の制服のポケットに仕舞った。
〝スマホ。文化祭がちゃんと終わるまで返さないからな〟
生徒会室に取りに来いとメッセージを書き、そのメモを、もし右川が戻ってきたら渡してくれるように桂木に頼んだ。
〝もう殺さない〟とあるのを見た桂木は、「何これ。悪趣味だな」と苦笑い。
「右川、戻って来る?3時半過ぎてるけど」
「戻って来る。必ず」
それを確信して、俺はその場を後にした。
あの顔が傑作!その後も俺は、何度も思い出して笑った。
あいつはきっと山下さんにも、「沢村に殺される!」と訴えるに違いない。
そんなの桂木じゃないけど、「あの沢村くんがそんな事をする訳がない」と、ピシャリとやられて終わりだろう。またまたビッグウェイブ、大きな笑いのうねりが押し寄せた。
「……お腹、痛たたたたた」
思いがけず、楽しい楽しい、文化祭。

そして、楽しいのはここまで。
次第に俺は、笑っていられなくなる。

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