ハイスペック男子の憂鬱な恋愛事情
耳元に気配がして暴れるも、もう手遅れで。


「頼むから、もう普通にして」


わたしの一番弱い声の裏で、彼すら気付いてない弱りきった色を滲ませたその声に、動けなくなってしまう。


「……っ、卑怯な使い方、するね」

ただの八つ当たりだ。

それでも嬉しそうにわたしの反応ひとつひとつに挑発を混ぜて返す彗大へ、意思とは逆にどんどん引き込まれる。


「使えるモノは使う派の、お前の影響だろ」

優しい彗大にすっかり言い訳まで与えられて、受動するような感覚で、わたしのスイッチは、“入れられた”。


「これ、邪魔」

スーツを剥いで、フローリングへわざとつき飛ばす。

全て彗大の思惑で動いている自覚がある分の、小さな仕返しだ。

上質で無地のシャツに手を伸ばしていると、出会いたての頃を思い出した。

あの頃選んだのは、チョークだったな。

まだまだ最近の出来事なのに、もうずいぶん前のことのように思う。


正面の布地面積の過半数が染まった頃には、色への感覚が研ぎ澄まされて、久しぶりに乗ってきていた。


「俺の声って、お前の眼にはこんな綺麗なの?」

だから、この質問の意図を考えずに、「もっとな時もある」なんて正直に答えてしまった。


「どんな時」

すかさず聞いてくる彗大の目は、とても意味ありげだ。

彗大に誘われているのは明白で。
今の、音とキャンバスを提供してくれてるのも彗大で。

今は乗ってる時だから、カラダに直接響く色も、触れるような感覚の色も、魅れるはずで。魅せられるはずで。

誰ひとり損はしないウィンウィンの、これこそ対等な需要と供給。


だけど。

「……ナイショ」

その提案は、複雑な感情によって隠蔽された。

だって、仕方ないじゃない。

今まで、わたしばっかり“仕掛けて”きたのに、まさか彗大から仕掛けられるなんて思わなかったんだもん。

いきなりなんて、不意打ちだ。

第一、扉を一枚隔てた向こう側には、わたしより“そういう彗大を知っている”彼女だっている。

そういうのは、なんだかとてつもなく面白くない。

それに、“なんの関係でもないわたし”が思惑通りに乗ってしまったら、わたしも彼女と一緒にされてしまいそうなのが嫌で。

彗大が今までシてきただけの女と一緒のことをするのかと思うと、絶対嫌で。

ああ、顔が熱い。なんて厄介な感情なの。

色への発露以外で、こんなに制御できない感情は初めてだ。

これは、さすがに左右され過ぎかもしれない。

だからーー。

「俺と結婚してくんない」



なんの脈絡もなくあまりに軽く唐突に出たその言葉は、またわたしを混乱させた。

「あ」

おかげで色を見失ったわたしはこの日、彗大のアルマーニをオシャカにするという、致命的な凡ミスでボツ作品を生み出してしまう。

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