妄想は甘くない
正確な面構えまでは把握出来なくても、目を凝らせば身振りや雰囲気から動揺していることくらいはわかる。
「そんな、キスくらいで……」
だけど反応を示した言葉に、わたしのキャパシティは限界を超えた。
唇を噛み締めたと同時に、力の緩められた右手を気付けば振り上げていた。
ばちんっ
静かな狭い空間に、鋭い音が響き渡る。
心を渦巻く負の感情が、抑えられなかった。
「……あなたにとってはキス程度のことかもしれないけど……そうじゃない人間もいるんですっ! ひっ、人のこと馬鹿にして、楽しいんですか!?」
ひと思いに捲し立て、肩を揺らす。
呼吸を荒げる程の勢いで吐き出された自分の気持ちが重たく、俯いた瞳からは一層大粒の涙が頬を伝い落ちた。
──あぁ、この美しい顔を傷付けたくはなかった。
ヒリヒリと痺れる掌と共に、心もズキズキと痛んでいるようだった。
どうせ涙と近視でまともに見えはしないけれど、恐ろしさと腹立たしさから直視出来ないままに、テーブルの上に認識出来た眼鏡だけは引っ掴んで更衣室を飛び出した。
「宇佐美さんっ」
背後から掠れたような叫び声が耳に入ったけれど、振り返らなかった。