鬼の生き様

江戸よさらば


 文久三年(1863年)二月四日。
浪士組参加者として一同は伝通院(でんつういん)に集められた。

ここ伝通院は、慶長八年(1603年)に徳川家康が生母・お大をこの地に葬り、後に堂宇を建立し伝通院となった。

伝通院は、お大の法名にちなみ、将軍家の帰依も厚かった。
 浄土宗の関東十八檀林の一つで、常時千人もの学僧が修行している。

境内には、お大の方、豊臣秀頼の妻・千代をはじめとして徳川家ゆかりの女性が多く眠っている。

 そんな伝通院に、三百人近い様々な人達が群れをなしている。

「すげえ集まっていやがるな」

「山岡さんの話では、五十人ほどの募集と聞いたのですが…」

山南は怪訝そうな顔を浮かべた。
あきらかに剣の心得も無いような者達もいれば、子分を引き連れた極道者までいる。


「食い詰浪人達が、支度金の五十両目当てで集まったってとこだろうよ」

歳三は呆れ顔でそう言い、ごった返している伝通院の一同を見ていた。


「水戸天狗党の芹沢鴨様のお通りだ、どけどけ!」

芹沢鴨という特異な名前を耳にし、目を向けてみると五人の集団は浪士達を睨みつけるかのごとく、伝通院の中へと入って行く。

(井伊大老の時の…)

桜田門外の変の時に出くわした男だ。
 芹沢鴨は相変わらず瓢箪酒器を手にし酒を飲みながら、平山五郎、平間重助、野口健司を筆頭に伝通院の群衆を退けながら入って行く。
その後ろには、新見錦(にいみにしき)というキツネ顔の男が連れ添って歩いて行った。

平山五郎は左目に眼帯をしていて先程の威勢のいい男であったが、平間重助は平山の隣を歩くが少し申し訳なさそうに頭を下げ、腰が低い男であった。

その中でひときわ若い男がいた。

「あいつは、野口健司じゃねえか」

永倉はそう言った。
百合本昇三のもとで神道無念流を学んだ同門であった。

「目録止まりだが、稽古熱心で真面目な男だよあいつは」

「へぇ、あんなヤクザみたいな連中といるのにね」

「きっと皆、水戸の同郷なんだろう」


歳三は、芹沢の後ろを歩く新見錦をジッと見つめていた。
新見は他の者達と異彩を放っていたのだ。

(おそらく芹沢鴨の懐刀は、あのキツネ顔の野郎だろう)

水戸の芹沢一派とは関わりたくないと思った。
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