鬼の生き様


 一方、その頃、街行く人々が烏丸通松原上ル東側にある因幡薬師境内が異様な盛り上がりを見せていると、口にしており、茶屋で団子を喰っている芹沢の耳に入った。
なんと京の都に虎がやってきたというのだ。

「加藤清正が倒したという虎と一度、立ち合ってみたいものだ」

芹沢鴨はそんな夢うつつな事をぼやいていた。
 かつて朝鮮出兵で獅子奮迅の活躍を見せた加藤清正は、現地の人々から「鬼上官」として恐れられていた。
現地には、泣き止まない子供に「鬼上官が来るぞ」と言うとぴたりと泣き止むという言い伝えまであるほどだ。
身の丈六尺三寸(約189cm)もある大男の加藤清正は長烏帽子形兜(ながえぼしなりかぶと)というこれまた長い兜をかぶっており、さらに背が高く見えたという。

その頃に朝鮮で加藤清正が虎退治をしたという逸話は、浮世絵などの題材になっているほどである。

加藤清正の陣の近くに虎が出現し、その虎がなかなか凶暴で馬を連れ去ったり家臣を殺しており、それに怒った加藤清正は山狩りに行き、虎を見つけるとその喉元を槍で一突きして仕留めたそうだ。

加藤清正が虎を狩ったことは事実らしく、古橋左衛門又玄による加藤清正の伝記『清正記』には加藤清正が虎の皮を秀吉に贈ったことが記されており、加藤清正だけでなく、当時朝鮮出兵していた大名たちは虎狩りをしていたらしく、虎の皮や肉が太閤、豊臣秀吉に喜ばれたためらしいが、あまりにも虎の皮や肉がたくさん送られてくるので秀吉も困り果てて、もう送るなと達しを出したという。

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