鬼の生き様
翌日の八月十二日に壬生村で礼相撲が執り行われて、壬生寺は大いに盛り上がっていたが、その記念すべき相撲興行の裏側で事態は急展開を迎える。
この頃、急進的な尊皇攘夷派の藤本鉄石(ふじもとてっせき)、松本奎堂(まつもとけいどう)、吉村寅太郎らは、天誅組と称して、攘夷活動のための資金集めをしていた。
「金を貸せ。攘夷や。
攘夷志士に金を貸さんは、天子様にたてつくもぶっちゅうこと」
などと店先でわめき散らし、散々にごねりまくっているという。
「そんなこと言われても、貸せぬものは、貸せません」
仏光寺高倉の油商、八幡卯兵衛は天誅組の強請りをきっぱりと断った。
「そうか。こればあ頼きも、いかんか」
「お引き取りくださいませ」
「左様か」
吉村寅太郎らは、八幡卯兵衛を千本西野に引っ張り出し、斬り殺してしまった。
「素直でない商人だ。
わずかぇ金子をおよけなんだばかりに」
藤本鉄石はそう言うと、同志に命じて八幡卯兵衛の首を運ばせ、三条橋詰の制札場(せいさつば)に札を立てて、梟首したという酷い事件が起こっていたのだ。
京都葭屋町一条下ル所の大和屋という商家がある。
そこの主人の大和屋庄兵衛は、生糸、反物、縮緬などを扱う商人だったが、交易の利益を独占しようと、生糸の買い占めを行っていた。
そのために生糸の値は暴騰し、庶民の暮らしを苦しめているという。
その大和屋も八幡卯兵衛の梟首した際の、天誅組のたてた札に名が挙げられ、『これらの者は私欲をもって暴利をむさぼっている。
ただちに改心せねば、八幡卯兵衛と同じことになるであろう』とあった。
「こらあ…えらいこっちゃ」
札を見た大和屋庄兵衛は真っ青になり、すぐさま金一万両を用立て、天誅組に貸してしまったのだ