鬼の生き様

 時は流れ、安政七年(1860年)二月四日。
歳三は谷保村の親戚、本田覚庵のもとで漢字や書道を習っていた。

 覚庵は、医者であると同時に、文人としても名を知られ歳三や勇とも深い親交があり、二人の名前は覚庵の日記にも度々登場している。

 三軒の本田家があり、西から通称〝医者本田〟〝新屋(中の本田)〟〝本家〟と呼ばれ、十一代目の覚庵は元々は分家である新屋の生まれで本家に養子に入った。

 覚庵流の書を歳三の実兄、大作こと糟谷良循にも教えており、歳三や勇の他にも、佐藤彦五郎や小島鹿之助も頻繁に訪れ、他にも土方為次郎をはじめ、土方家や佐藤家の人々、井上松五郎や近藤周助などもゆかりがあった。

 もともと本田家の六代目の重禮は石田村の土方家からの養子で、さらに覚庵の義母であるチカは歳三の叔母、覚庵の妻・ギンも土方家からの養女、娘のトマは後に彦五郎の息子・源之助に嫁ぎ、孫娘は土方家に、もうひとりの孫娘も佐藤家に嫁ぎ、糟谷家からも嫁をとるなど、土方、佐藤両家との血の繋がりは濃密な家だった。


「本日はご教示いただきありがとうございました」

 歳三は昼過ぎに本田邸を出て試衛館へと帰って行った。

試衛館に着く頃にはもう暮れ六つ(18時)となっており、辺りは暗く、稽古は終わり静寂とした空気が包んでいた。
客間へと向かう最中、外に人がいる気配を感じ、覗いてみれば惣次郎が空を見上げていた。

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