四季



木村の家に着いた。途中、コンビニで傘を買っても良かったのだが何となくこのまま来てしまった。
普通の一軒家である。特に変わったところはなかった。
「悪いけど、少し待っててくれる? 部屋片付けてくるね」
「ああ」
鍵を開けて一人で家に入っていく姿は違和感がない。慣れているのだろうか。しかし、こういうのに慣れるのは少し寂しいかな。
空を見上げても、同じ曇天。仕方なく周囲を見渡す。
手入れの行き届かない庭。雑草が生い茂っている。使わなくなったのだろうか、倒れた自転車。ところどころに錆びがついている。
ガチャ。
「待った?」
その場とあまりにも差のある明るい声。何か強い芯のある声。
「……、いや」
「そう。じゃあ、良かった。あがって」
第一印象は広すぎるという感じ。家は普通の一軒家だと思うのだが、感覚的にそう感じる。両親などはいないのだろうか。
「あのさ、両親はどうしたんだ?」
「……」
木村の顔が強張った。
失敗した。訊くんじゃなかった。木村が泣き出してしまったらどうしよう。
しかし、木村はゆっくりと表情をやわらげた。
「知らない」
一言、そう言った。
知らないとはどういうことだ。一緒に住んでいて知らないはずはない。
居間に案内されると、写真が飾ってあった。木村の両親と思われる人と木村本人と思われる子供。三人、笑顔で写っている。
「あ、そうだ。これ、使って」
目の前に紙を差し出す。
「進路調査書じゃん。これ、木村のだろ?」
「……。私、進路、決まってないから」
「じゃ、決めますか? 進路」
「頑張って」
「お前のだよ」
「えっ……」
木村は驚いた顔をした。それに対して、俺は笑顔で返した。木村は安心したようで笑顔になった。
「じゃ、始めますか」
その紙の空欄をうめるのと同時に俺と木村の距離が縮まってきた気がした。





「もう、暗いね」
辺りは一面真っ暗で街灯がところどころに光っている。雨はすっかり止んだ。街灯に群がる虫が暖かさを求めているように見えた。
「また、明日ね!」
「……」
「こらー! 返事は!?」
「気が向いたらな」
「まったく、これだから、大丘(おおおか)君はー」
「大樹(だいき)でいいよ」
「えっ……。そ、それじゃ、私も春でいいよ……」
「また、いつか会えますように」
「ちょ、ちょっと! 明日でしょ、明日! ちゃんと来るのよ! いいわね!」
「気が向いたらなー」
「んもうー」
学級委員長と劣等生との会話は一通り終わった。
大きく手を振る春を背中に俺は右手を上げてこたえる。
季節はもう春なのに、気持ち的には冬。
俺は俺のすみかへと一歩一歩進んでいく。その足取りは、決して軽いものではなかった。





家の門の前。そのまま中に入るわけでなく、踵をかえしもと来た道を引き返す。大丘の表札が俺は嫌いだ。単に父親が嫌いなだけかもしれない。だから、家に帰りたくはない。
トボトボと歩いているうちに、学校近くの大きな木のところへやって来た。
「ふぅー。何で俺は毎回毎回ここにきちまうかな」
この木は春と夏は緑で満ちていて、秋は黄色や赤に満ちている。冬は葉っぱが落ちてものさびしい。何の木だか知らないが何百年もここで生きてきた。それは、すごいことだと思う。この街を見守って来たんだ。そして、俺も……。
ガサガサ!
ガサガサ!
「誰だ!」
「に、にゃ~お……」
「そうか、猫か……。って騙されるかあ! 夏美(なつみ)出てこい!」
「にゃ、にゃんと! 大樹じゃないか」
「猫言葉はやめなさい。猫になるぞ」
「いーもん。猫でいーもん。猫はもふもふしてて可愛いんだもん。」
「そーですか。頑張れ。進路決まって良かったな」
夏美はハムスターみたいに頬を膨らませ、睨んでくる。案外可愛い一面もある。
悩みがあると、決まってここに来る夏美。俺も似たようなものだな。
「こんな夜ふけに、お前は何悩んでんだよ」
「お前もな!」
「るっせー、俺は関係ねぇ」
急に静かになって夏美が話をきりだした。
「ねぇ、好きな人ができた……」
「そりゃ、良かったな」
「……」
それから、沈黙の時間が流れた。
数時間前の曇天は消え、空は晴れ渡り、星が見えている。
流れ星が見えた。
「おい、流れ……」
隣で夏美は両手を合わせてぶつぶつ何かを言っていた。夏美が願い事を終えたあと、こちらを振り向いた。
「願い事した?」
「いや。お前は?」
「ひーみーつー!」
クスクスと笑いながらそう夏美は言った。
「上手くいくといいな」
「ん? 何が」
「好きな人、いるんだろ?」
「ああ、そうだね! あはは!」
いつも明るい夏美だが、ふとした瞬間に寂しそうな顔になる。好きな人と上手くいけばそういうことがなくなるのかな。
一方で、上手くいかないで欲しいと願ってたりする。夏美とは、小さい頃から知ってる。好きな食べ物も好きな音楽も好きな動物も知ってる。だから、側にいてやれるのは俺のはずだと思っている。それだけじゃ、夏美を守れないのに……。
「もう、帰るわ」
「……、そっか。私はもう少しいる」
「じゃあな。風邪ひくなよ!」
「わかってるー!」
春だというのに肌寒い日が続く。
ふと大木の枝を見つめる。そこには、小さな葉っぱが芽吹いている。なぜか希望がわき、少し軽い足取りで家に向かう。





< 2 / 73 >

この作品をシェア

pagetop