今宵、エリート将校とかりそめの契りを
食事を半分以上残し食堂を出ると、廊下の先に黒いスーツの背中を見つけた。
琴は無意識に足を止める。
この屋敷ですっかり見慣れた男性のスーツ姿……それはもちろん忠臣だ。


これから総士の父について、仕事に出かけるのだろう。
黒い制帽の運転手と並んで、玄関ポーチの車寄せに向かっていく。
車の準備を指示されたのか、運転手が途中で廊下を逸れ、離れていった。
忠臣がせかせかと大股で進んでいくのを見て、琴はほんのわずかに躊躇ってから、その背を追いかけた。


「小暮さん!」


重厚な玄関ドアに手をかけた忠臣の歩を止めようとして、廊下の中ほどから声をかける。
広い廊下に響いた琴の声は、忠臣の耳にもしっかり届き、彼はピタリと動きを止めた。


忠臣は訝しげに眉を寄せ、背後を振り返る。
琴の姿を見止め、一瞬、意外そうに目を丸くした。


「これはこれは。奥方様、おはようございます」


彼は丁寧な挨拶を述べ、恭しくお辞儀をした。


「おはようございます」


その間に、琴は彼の前に進み出て挨拶を返す。


「総士様でしたら、とっくにお出かけになりましたよ」

「女中から聞きました。小暮さん、あの……」

「それから、今夜も遅くなられるそうです。奥方様は自室でお休みになるようにと、言い置いて行かれました」


琴は切り出す前に、そう言って遮られてしまった。
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