今宵、エリート将校とかりそめの契りを
逃げられた正一が、チッと舌打ちをする。
大きく顔を背ける琴を、彼は乱暴に抱きしめた。


琴は反射的に息をのんだ。
無意識に呼吸も止めた琴の目尻に、涙が滲んだその時。


「琴を離せ、上木」


底冷えするような冷たい声が聞こえた。


名を呼ばれた正一が、後ろから肩を掴まれギクリと震えた。
その手にグイと引っ張られ、彼はまるで剥がされるように琴から離れていた。
その次の瞬間、ドスンとなにかが落ちるような音が、蔵に響く。


(え……?)


恐る恐る目を開けると、琴の視界に一番に映ったのは、キッと眉尻を上げ、怒りを露わにした総士の横顔だった。
彼の視線の先で、驚愕に大きく目を見開いた正一が、地面に尻餅をついている。


「っ……な、名取中尉!?」


正一がひっくり返った声をあげる。
琴もハッと我に返り、彼の名を叫んでいた。


「総士さんっ……!」


総士はチラリと琴に目を向け、鬼のような形相で彼女の肩を掴んだ。
琴がビクッと身を竦めるのも構わず、総士は自分の胸に押さえつけるように、彼女を抱きしめた。
総士の胸に顔を埋めた琴は、呼吸の仕方も忘れたように、大きく息を吸ったまま息を止める。


「この……バカが……!」


総士が、吐き捨てるように怒鳴った。
琴は彼の胸でビクンと震えた。
< 169 / 202 >

この作品をシェア

pagetop