やく束は守もります




英人を偶然見かけたのは、百貨店の中にある支店に、つけ忘れた伝票を届けたときだった。
落ち着いたボルドーのワンピースを着た女性と腕を組んで、買い物したらしい紙袋はすべて英人が持っている。
女性はチョコレート専門店で「あ、かわいい!」と足を止め、そんな彼女の様子を、英人は笑顔で見つめていた。

香月が溜息ばかりついていた頃、英人の方でもいつも戸惑った顔をしていた。
あんなに幸せそうに笑う人だったのか、と驚きで足が止まる。

年明けすぐに「結婚をやめたい」と謝ったら、英人は「うん。俺も」と温度のない顔で頷いた。
違和感を持っていたのは、香月だけではなかったのかもしれない。

目が合うと、笑顔が消えて、困惑したように動きを止めた。
謝罪と祝福の意味を込めて笑顔を送ると、英人もぎこちない笑顔を作り、軽く左手を上げて応える。
その薬指には、香月の知らない指輪が光っていた。


百貨店を出ても、温度調整されているかのように心地よい。
歩いて少し上がった体温も、撫でるようなそよ風がほどよく冷ます。

迷いなく幸せに向き合う英人の姿は、秋へ向かう陽光と相まって、香月の足取りを軽くした。


今、会いたい人がいる。
自分から会いに行かなければならない人がいる。

かつては冬の星空ように遠かった場所。
━━━━━東京へ。



< 71 / 82 >

この作品をシェア

pagetop