生贄姫は隣国の死神王子と送る平穏な毎日を所望する

68.生贄姫は心配される。

「お帰りなさいませ、旦那様」

 本邸に帰宅したテオドールを使用人たちが迎え入れる。
 だが、出迎えるその中にリーリエの姿は今日もない。

「リーリエは?」

「変わらず、お部屋から出て来られません」

 聞かれた侍女頭のアンナが心配そうに答える。
 大魔導師との謁見から今日で3日。リーリエはずっと部屋に篭ったままだ。

「リーリエは、ちゃんと食べているのか?」

「カフェオレとミルクティは飲まれているのですが、他は手付かずですね。お風呂もお部屋のシャワーで済まされているようで、出てきませんし、一晩中部屋の明かりもついたままです」

 アンナはエルフ特有の尖った耳を下にさげ、困った顔で首を横に振る。

「もう3日。リーリエ様のお身体が心配でなりません」

 リーリエがこの屋敷に来てから、こんな事は一度もなかった。
 屋敷に仕える者たちとの交流を大事にしていたし、常に健康管理の大切さを説いていた。
 仕事は程々にねと、自身も率先して休む事を心がけていたはずのリーリエが、一切姿を見せない。
 人払いと立ち入り禁止の命がリーリエから直々に出ているため、彼女が今どうしているのかさえ把握できない状況に屋敷内が静まり返っていた。

「……そう、か」

 テオドールはそれ以上追求はせず、ただ淡々と本邸での時間を過ごしていった。
 過ごしながら、ふとした瞬間にリーリエの事が頭を過ぎる。

 この屋敷は、こんなに静かだっただろうか。

 一人で食べる夕食は、こんなに味気なかっただろうか。

 "旦那さま"と彼女が自分を呼ぶ声が聞こえないのは、こんなにも寂しいものだっただろうか。

 と、数ヶ月前までの当たり前が、たった3日でつまらない日常のような気がして、テオドールはそう感じている自分に驚く。
 いつか、リーリエがココから去る日が来たのなら、これがまた"当たり前"になるのかと思うと、正直かなり堪えるなとテオドールは苦笑した。

「火が消えたよう、だな」

 別邸に戻ろうと玄関まで来たところでテオドールの専属執事であるノアに声をかけられた。
 勤務時間外なので、口調は本来の彼のものに戻っている。
 少し話さないかと誘われ、玄関ホールの近く、大きな窓のそばにあるソファーに向かいあって座った。

「このエリア、リーリエ様が来てから設置したんだけどさ。結婚した次の日から、リーリエ様はずっとココでテオの帰りを待っていたよ」

 初めて聞く話にテオドールは驚きの表情を浮かべる。

「"ああ、今日もまた帰って来なかった"って、俺らに申し訳なさそうに謝るんだ。大事な主人を取り上げてすまない、と」

 結婚当初リーリエとの関わりを避けたのも、別邸での生活を選んだのも、全てテオドールの独断なのに、リーリエはそれを自分の責だと捉えていたのかとテオドールは初めて知った。
 リーリエが別邸を初めて直撃して来た日の事を思い出す。

『私、これでも毎日待っていたんですよ? いつ旦那さまが来てくださるのかなって』

 ああ、本当に待っていてくれたのか。
 そんな事も今まで知らなかった。

「テオが本邸に顔を出すようになる前のリーリエ様な、夜はいつもここで仕事をされていた。テオが戻ってくるかも、って。で、お前の仕事量見て怒ってた。コレ1人の人間がこなす量じゃないから!! って」

 過重労働だ、働き過ぎだ、1人ブラック企業だとリーリエに散々言われた日の事を思い出す。
 あんな風に面と向かって諌められたのは初めてだった。
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