生贄姫は隣国の死神王子と送る平穏な毎日を所望する

69.生贄姫は推しにキレられる。

 ノックをしても返事がないので、テオドールは勝手にリーリエの研究室に入る。
 本来なら、リーリエの自室と研究室、リーリエの個人書庫は全て部屋の内にあるドアで区切られている。
 だが、今は全てのドアが解放され、かなり広い空間になっているそこには、これでもかというくらいに書籍が広げられ、床一面におびただしい量の魔術式が描き綴られた紙が打ち捨てられていた。

「入室禁止としていたはずですが」

 テオドールに目を向けることもなく、抑揚のない声で、リーリエはそう言った。
 その間も絶えず翡翠色の瞳は紙と書籍を捉え、その手は魔術式を構築し続けている。

「リーリエ、少しは休め」

「時間がないのです。お引き取りを」

 そっけなく言い放つリーリエの表情は苦しげに歪んでおり、濃い疲労が浮かんでいる。
一緒に酒を飲みながら楽しげに式を描き、未来を語った彼女とは全く違うその姿にテオドールは舌打ちする。

"何故、こうなるまで気づかなかった"と。

『忠告。あの手の魔術師は、強い。でも、脆い。リリが好きなら、見ててあげて』

 そう、フィオナにも言われていたと言うのに。
 いつも、いつも、気づくのが遅くて、テオドールは自分で自分が嫌になる。

「リーリエ!」

 もう、リーリエには自分の声すら届いてない。
 何かに憑かれたように追い詰められているリーリエを、止めなければと強く思った。
 テオドールはリーリエの腕に手を伸ばし、無理矢理紙から引き離す。

「離して。時が惜しい」

「これだけやって、何が得られた? 頭ちゃんと回ってんのか?」

 リーリエはテオドールを奥歯を噛み締め睨む。

「私には、これしかないの!! 私の魔力が足りない分、起動実験ができない。ここはカナンの研究室じゃないから、演算処理機も外部魔力補助の魔石もない。式が組み上がってるか確かめるためには膨大な演算をするしかないのっ。分かってよ! 邪魔しないでっ!!」

 リーリエは叫ぶようにそう言って、肩で息をするとテオドールの手を払い除け、再びペンを取る。
 その姿にテオドールは苛立ち盛大に舌打ちをした。
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