生贄姫は隣国の死神王子と送る平穏な毎日を所望する

85.生贄姫は推し活を再開する。

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 この物語のヒロインは、きっと『私』なのだと彼女は思う。
 そうでなければ、『誰か』と願った先で、大賢者が異世界から転移してくるなんて、こんな数奇な運命に身を投じ、ヴァイオレットと名乗る事はなかっただろう。
 ヴァイオレット・グラシエール子爵令嬢は、ピンクのグラデーションドレスを可愛く着こなし、カナン王国第一王子フィリクスの腕を取りパートナーを務める。
 婚約者から彼を奪い取った事も、その婚約者をアルカナ王国に送った事も、全て計画のうちだった。
 ヴァイオレットと名乗る前の自分の世界には、自分とレオしか居なかった。
 レオが笑っていられたなら、それで良かった。だけど、魔力を持って王族として生まれてしまった彼に、それは許されなかった。
 この世界は魔法に頼りすぎている、と思う。だから魔力を持つものと持たないもの、魔力量によって大きな格差が生じる。
 そして、"持つ者"はいつだって当たり前のように奪われるのだ。
 そんな世界が大嫌いだった。
 そうやって、大事な大事なたった1人の家族と呼べる存在から笑顔を奪い取った国なんて、いっそ滅べばいいと思った。
 ……思って、いた。

「フィリクス様」

 ヴァイオレットは凛と通る声で彼を呼ぶ。

「どうしたの、ヴィ?」

 愛おしそうに自分を見つめてくるフィリクスに、ヴァイオレットは微笑む。

「フィリクス様は、どうして騙された振りをしてくれるのですか?」

 このカナン王国でただ一人、ヴァイオレットが授かった"魅了"が効かなかったフィリクスはしーっと唇に人差し指を当ててウィンクをして見せる。
 そんなキザな動作が似合う程彼は麗しく、絵本の中の王子様のようだとヴァイオレットは思う。

「父と母を見て、いつも思っていた。俺には愛のない結婚生活なんて耐えられないって」

 金色の柔らかい穏やかな瞳が、そう言って笑う。その目で見られる度に心音が早くなるのをヴァイオレットは感じる。

「ねぇ、ヴィ?」

 この国で自分の願いを叶えるために近づいたフィリクスは、あまりに嘘が多く、心の弱い人だった。

「キミの物語の終焉が、キミの望むものであるといいね」

 フィリクスからの寵愛が本物であったならどれほど良かっただろう、とヴァイオレットはありもしない"もしも"を思う。
 そんな自分を嘲笑し、ヴァイオレットは今日も生贄姫から奪い取ったこの場所で可憐に微笑む。
 あの全てを見透かしてしまいそうな翡翠色の瞳が嫌いだった。
 フィリクスの弱さを許さなかった彼女の事が大嫌いだった。
 彼女は気づいていただろうか?
 いくつもの浮名を流していたフィリクスが、こんなにも孤独で愛情に飢えていたということを。

『私だったら、彼にそんな思いはさせなかったのに』

 そう心の中でつぶやいて、ヴァイオレットは首を振った。
 願い事はひとつだけ。
 もう、物語は動き出している。今更路線変更などできないのだ。

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