生贄姫は隣国の死神王子と送る平穏な毎日を所望する
 大型ベアは的確に急所をつけば1人でも討伐可能な種ではある。だが、通常複数人で討伐する魔獣だ。
 大型ベアを1人で討伐が行えるレベルは、テオドールのような騎士団所属で位持ちか一部の冒険者。つまりそれなりに腕の立つものでなければ難しい。
 だが、このテオドールの所持する敷地内においては、テオドール以外では1人しかいない。

「………獲物を放置せず、出てきたらどうだ」

 テオドールは大型ベアの後方に向かって話しかける。

「さすがでございます、旦那さま」

 するとテオドールが声をかけた方から音も立てずに1人の女性が現れた。
 柔らかい蜂蜜色の髪を後ろで1つにまとめ、凜とした姿勢で佇む彼女はいつもより軽装のドレスの裾を持ち上げ、淑女らしく完璧な微笑みと共にカーテシーを行い、テオドールにそう賛辞を述べる。

「……嫌味か? リーリエ」

 テオドールが視線を逸らす事なくため息まじりにそう言うと、

「滅相もございません。本心ですわ!」

 リーリエと呼ばれた彼女は元々大きな翡翠色の目をさらに大きくし、心外だとばかりに力強くそう言い切る。

「旦那さまは明朝より腕立て1000回、素振り1000回、基礎魔法詠唱省略の鍛錬に加え、ロードワークをこなされた後にこの距離を魔法の助力なしで駆け抜けたにもかかわらず、息一つ上がってませんし、私がベアを倒しきるまでに駆けつけられる速度といい、地面の揺れに動じることのない身体能力といい、的確に急所に向けて剣を振りかざす容赦ない判断力といい、どれをとっても称賛に値します!!」

「……見てきたかのように言い切るな」

 リーリエがこの場で大型ベアと対峙するより前の出来事をあたかも見てきたかの如く語り、矢継ぎ早に讃えてくる彼女に若干引き気味になりながら言葉を返すテオドール。
 そんな彼を見て、テオドールの気分を害してしまったのかと狼狽えるリーリエは、

「……申し訳ありません。魔道具の千里眼で少々旦那さまウォッチングをしておりました」

 小さな声で俯いて謝罪をのべた。その姿はまるで叱られた子供のようで、とても大型ベアを1人で討伐した豪傑には見えない。

「構わん、好きにしろと言ったのは俺だ」

 もともと華奢なリーリエがしゅんと小さくなってしまったことがなんとなく不憫に思え、テオドールは頭を撫でてやる。
 やや乱暴な撫で方ではあったが、怒っていないことがわかったリーリエは顔をあげ、

「さすが旦那さま。懐が深うございます」

 翡翠色の瞳に最愛の夫の姿を写した。そして言葉に出さず、心の中で叫ぶ。

 今日もテオ様は本当にかっこいい、と。
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