生贄姫は隣国の死神王子と送る平穏な毎日を所望する

96.生贄姫は旦那さまと夜を明かす。

 テオドールは窓枠に腰掛けて、ぼんやりと外を眺める。明かりひとつない暗がりには、夜目の効くテオドールでも何も見えず、静かな夜だった。
 夜風が随分冷たくなったと感じる。辺境の地は早ければもう雪が見られるかもしれない。辺境の地は確かに凍えるほど冷たかったはずなのに、指先はなんの感覚もなかったなとどうでも良い事が浮かぶ。

 赤色に染まった視界と耳に残る叫び声と血の匂いが占める世界が自分の全てで、戦場を離れた今でもたまに襲ってくるどうしようもない虚無感を抱える夜がある。
 テオドールにとって、今日がその日であったのは、昼にルイスに聞いた話のせいなのかもしれない。

 控えめなノックの後に、遠慮がちにドアが開きリーリエが顔を覗かせた。
 テオドールは視線をチラッとリーリエに向けただけで、特に何も言わず視線を窓の外に戻した。
 リーリエは何も言わず、部屋に入ってテオドールの側までやってきて、その横顔を心配そうに見る。
 その顔にはなんの表情も浮かんでおらず、心ここにあらずといった感じで、その物悲しいほど美しい姿が胸が潰れそうなくらい苦しかった。

「……こんな時間に、別邸までなんの用だ」

 先に沈黙を破ったのは、テオドールだった。
 外をぼんやり見たままで、リーリエに視線を寄越すこともせず、ただ儀礼的に吐き出された言葉に、どう返すのが正解なのか分からずリーリエはテオドールの頬に触れる。
 指先に伝わる温度があまりに低く、テオドールが随分長い間そうしていたのだと分かって、尚更苦しさが募った。

「風邪を引いてしまいますよ。今日は寒いですから」

 リーリエはなるべく穏やかな声を心掛けて、テオドールに持ってきたブランケットをかけた。

「なんとなく、ひとりにしてはいけない気がしたので。少しだけ、ここに居てもいいですか?」

 ふわりと柔らかな雰囲気を纏うリーリエの声に反応し、ようやくリーリエの方に視線を向けたテオドールは首を振る。

「……悪いが、今はひとりにしてくれないか」

 吐き出される声に抑揚はなく冷たく響き、リーリエは初めて会った日の事を思い出す。
 警戒心と拒絶。
 ああ、なんでこの人はこんなにも今独りなんだろう、と。
 リーリエは悲しくなった。

「……嫌です」

 ここに居たところで何ができるわけでもないだろう。だが、それでもひとりにしておきたくなかった。

「好きにしろ、とおっしゃったではないですか」

 リーリエはテオドールの側に椅子を持ってきて、すとんと座る。

「なので、私は、私の好きにします」

 トンっと身体を預けるように、テオドールに寄りかかって、リーリエは静かにそう言った。
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