生贄姫は隣国の死神王子と送る平穏な毎日を所望する

「異なるモノが入ってくれば、それが如何なるモノが、もっと端的に言うならば、自分にとって有益か害か理解しようとするのはヒトの性というものなのではないでしょうか？」

　リーリエは苦笑しながら机の山を指差す。

「私は旦那さまの妻ですから、どうぞ気が済むまでお調べください」

　気分を害するどころか嬉しそうに胸を張るリーリエにテオドールは眉を寄せる。

「遠ざけられ無きモノとして扱われるよりも、どんな感情であれあなた様に向けていただけるモノであればそのほうが私はずっと嬉しいのです」

　”無関心”が一番怖いのだと、リーリエは笑う。
　自分に対してそらすことなく向けられた翡翠色の瞳には全く”恐怖”というものを感じさせず、むしろ見透かされそうでテオドールは目をそらしたくなる。

「どうぞ、あなた様自身の目で見定めてくださいませ。自身の価値を示せるように私も邁進いたしますので」

　そんなテオドールの心情を察したかのように目をそらすことを許さなかったリーリエはそう言って笑う。
　そこに、嘘はないように見える。

「価値を示す、と言っていたな」

　テオドールは森にある別邸にリーリエが押しかけてきた日のことを思い出す。

「夜会で作った経口補水液、あれは隊員たちにかなり評判がいい。訓練後の疲労が回復するそうだ」

　クエン酸も塩分も厳しい訓練後の体には染みるだろうし、味を調えればお手軽スポーツドリンクとして重宝するだろうが、なぜ今経口補水液が出てくるのだとリーリエは意図がくみ取れずコテンと首をかしげる。
　その動作が年相応に見え、テオドールは自身でも知らぬ間に口元が緩んでいた。

「リーリエ」

　夜会でも名前で呼ばれたはずなのに、改めてその口から自身の名が聞かれたのだと認識し、リーリエの背中に鳥肌が立った。

「なんだ。役に立ったら名前で呼べといったのはリーリエだろう」

　聞き間違いではなくこれからはそう呼ばれるのだと理解したとたん、リーリエは両手で顔を覆い隠す。
　全身の体温が一気に上昇し、耳の先まで真っ赤に染まるのが感覚としてわかる。

「おい、急にどうした」

　テオドールは今までになかったリーリエの反応に焦り、リーリエの手を掴みその顔を覗き込む。
　それでもなお片手で目を覆い、逃れようとあがくリーリエの行動と手首の細さにテオドールが戸惑っていると、

「旦那さま、それは反則です」

　小さな声で抗議が上がった。

「はっ？」

「無表情のイケメンが急に微笑んで名前を呼ぶとか心臓が持たないからっ！！　ファンサが過ぎる」

　平静を取り繕えず赤面したリーリエが叫ぶ。
　思えば幼少期から厳しい王妃教育に耐え、淑女の鑑と称えられ、笑顔の仮面で感情を隠し、今まで散々我慢してきたというのに。
　この国に来て、テオドールを前にして易々と限界点を突破させられ、前世の自身の一面が顔を出してしまった。

「リーリエは突然知らない言葉を叫んで発狂するな」

　現状を冷静に言葉にされて、リーリエの体温が一気に下がる。

「……がっかりなさったでしょう？　淑女の鑑の中身がコレで」

　一番見られたくない姿を一番見られたくない相手に晒してしまったが、もうこれは仕方がないのではないかと思う。
　テオドールがかっこよすぎるのがいけないのだ。

「好きにしろ。害はない」

　うぅっと落ち込む姿は年相応の女性で、いつも年齢以上に大人びてなんでも対応してしまう彼女とは違う。
　だがこれもまた、リーリエの一面なのだろうとテオドールは理解する。

「旦那さま、かっこよすぎませんか？」

「そんなこと、リーリエ以外には言われたこともないがな」

「いくらでもいいますよ？　何なら毎日賛辞100個くらい述べますよ」

「……いらん。それはやめてくれ」

　そしてできるなら、彼女が抱える”何か”も含めてリーリエのことを知ってみたいとテオドールはそう思った。