生贄姫は隣国の死神王子と送る平穏な毎日を所望する
「まぁ、そう簡単に教えてくれる訳ないよね。生命線になりうるかもしれないし」

 ニコニコと嘘くさい笑顔で沈黙を破ったルイスはテオドールに背を向け、窓の外を覗きながら独り言のように呟く。

「リリは秘密が多い。表で"淑女の鑑""才女"と言われる一方で、彼女をよく知る人間からは"昼行燈""怠惰"なんて呼ばれたりする」

 昼行燈、怠惰。
 リーリエには似つかわしくない呼び名に聞こえるが、まだ彼女を知らない段階でその渾名の真意をテオドールには読み取ることはできない。

「結婚した以上、手綱はしっかり握ってくれよ? でなければキミを呼び戻した甲斐がない」

 各地で起きていた争いを終結させたのも、戦争寸前だったカナンとの国交を取り成したのも全て国王が病に臥し、ルイスが全権代理者になってから成し遂げた功績だ。
 もちろん、テオドールを王都に呼び戻したのも。
 この男には一体何が見えているのか? 
 追いやられていたテオドールに把握できるはずもない。
 だが。

「リーリエは"物"じゃない。勘違いしない事だ」

 ルイスが何をしようともどうでもいい。
 ただ、リーリエを利用しようとしている事はどうしようもなく腹が立った。

「……リリを蔑ろにしていたキミがそれを言うの?」

 テオドールの殺気を受けながらルイスは睨み返す。

「リリを傷つけたら許さないよ? テオドール」

 いつも飄々としているルイスには珍しく、細められた紫暗の瞳は、純度の高い怒りの感情に染まっていた。
 殺気と怒気が空中でしばし混ざり合い、火花を散らす。

「まぁ、いいや。言いたい事も言ったし、知りたい事も知れたし、釘も刺したし」

 沈黙を破ったのはルイスの方だった。
 そしてポンっとわざとらしい動作で手を打つと、

「そうそう、リリを訓練に混ぜるのも騎士団に出入りさせるのも構わないけど、クライアン副隊長とやりあってたの、止めなくていいの?って言いに来たんだった」

 忘れてたーとやや間延びした口調でそう話す。
 ゼノは普段は人好きする人畜無害な青年だが、一度タガが外れると相手が戦闘不能になるまで止まらない癖があった。
 もし、ゼノに好敵手と見なされてしまったら軽い手合わせでは済まない可能性が高い。

「そう言う事は先に言え、バカ!!」

 テオドールはがたっと勢いよく立ち上がると資料もそのままに乱暴に部屋を後にする。
 テオドールの背中をにこやかに見送ってルイスは真顔に戻り机の資料に触れる。

『ねぇ、ルゥ。私のこと、買わない?」

 リーリエのソレは相談ではなく確定した未来の提示だった。

「この政略結婚、仕掛けたのは俺でもアシュレイ公爵でもなくリーリエだと知ったらキミはどんな顔をするのかな、テオドール?」

 独り言として吐き出されたその問いは、答えを見つけることなく消えていった。
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