生贄姫は隣国の死神王子と送る平穏な毎日を所望する
「はぁ、いつまで泣いている」

「だって、旦那さまが泣かすから〜」

 ぐすぐすと両手で顔を覆って泣き続けるリーリエに呆れたような声が落ちてくる。
 普段感情コントロールを心がけている分、一度崩壊したら止め方が分からない。

「このままじゃ目が腫れるな。そうなると俺が責められるんだが」

「責められたらいいじゃないですか。私はみんなに言い寄られて困ってる構図を第三者視点で堪能しますからっ」

 落ち着かせるように頭を撫で続けるテオドールに、拗ねたように言い返すリーリエ。

「それは困った。ただでさえ、信用度の点ではリーリエに負けているというのに」

「日頃の行いですよ、旦那さま。ちゃんと屋敷に帰って来ないから。第一、今日仕事はどうしたのですか?」

「元々どこかで休むつもりだったからな。今日はゼノに任せている」

 リーリエが過重労働だブラック企業だとうるさいので、服務規程を見直したら何故か休暇欄が自分の分だけ故意に削除されていたので、規程改善ついでにしれっと休暇を元に戻しておいた。
 どうせどこかで取るつもりだったので、予定が何もない今日休んでも問題はない。

「私のために、わざわざ? 仕事が趣味みたいな旦那さまが?」

「休めと言ったくせに何か文句があるのか?」

「結局、休みになってないじゃないですか」

 まぁその理由は自分にあるので強くは責められない。

「今、リーリエを放置してはいけないと思ったからな。俺の妻は存外、見てさえいれば分かり易い」

 妻と言う単語が耳に入り、聞き取ったリーリエの耳が赤く染る。

「なんですかそれ。私、一生旦那さまに頭上がらなくなっちゃうじゃありませんか。もう、一生推せる。ホント尊い」

 うぅっとまだ涙が落ち着かないまま顔を上げたリーリエは、

「旦那さま、ありがとうございます」

 翡翠色の瞳に涙を溜めたまま、きれいに笑う。
 その目には今度はちゃんとテオドールが映っていた。
 テオドールはそんなリーリエを見て目を細める。このくるくると変わる感情を彩る翡翠色の瞳を好きになってしまったのだろうなと。
 リーリエの言う"推し"は自分が彼女に抱く感情とは異なる種類のものだろう。
 だが、これから先この目に映るのは自分がいいとテオドールは願う。
 テオドールは傷つけないように、割れ物を扱うみたいに優しく、憧れと愛おしさを混ぜてリーリエの瞼にキスを落とす。

「ってどさくさに紛れて何をしているのですか、旦那さまっ」

 一瞬の出来事に反応が遅れ、驚きのあまり涙が止まったリーリエは、テオドールにそう叫ぶ。

「何、っていつまでも泣き止まないから、強制的に泣き止ませてみようかと」

 テオドールはふっと意地悪く口角を上げてそう言う。

「どこの魔王のセリフですか!? 私、推しは眺めて愛でたい派なのですよ! 観察対象は攻略対象じゃないので、そういうのは結構です!!」

 リーリエはそう言って赤面しながら、全力拒否の姿勢を崩さない。
 テオドールは面白そうに笑い、リーリエの顎に指を添えテオドールの方を向かせる。

「そうか。しかし、流石にその反応は傷つくな」

「ふぇっ」

 近づいて来るテオドールの顔に動揺が隠せないリーリエ。

「俺達は夫婦だというのに、まだキスの1つさえ交わしていない」

 そのままどんどん近づいてくるテオドールの顔に耐えきれず赤面したリーリエは目をぎゅっとつぶった。
 が、息遣いが感じるほどの距離でそれは止まり、何も起きない。
 リーリエがそっと目を開ける。

「悪い、リーリエ」

 口元を手で抑え、肩を小刻みに振るわせ、くくっと笑うテオドールが目に入る。
 つまり揶揄われたのだとリーリエは悟り、顔を真っ赤にしたまま、

「さ、最低っ」

 と呟き、リーリエは唇を振るわせる。

「本当にしとくか?」

 再び近づいてきた顔に、正気を取り戻したリーリエが全力で頭突きを喰らわすのはそれから数秒後のことだった。
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