生贄姫は隣国の死神王子と送る平穏な毎日を所望する
 夢なら良かったのにと、幾度となく願った。

「でも、これは夢ではなく、ここにある全ては紛れもなく確かに私の現実だから。……だから、ここではないどこか遠くの、違う未来に思いを馳せてしまう……のかもしれませんね」

 苦笑するリーリエの横顔は物悲しく、様々な感情を押し殺しているように見えた。
 テオドールはその横顔を見ながら、ルイスとの会話を思い出していた。

『リリがさ、"推し"を見つけてくる方法、俺には皆目見当がつかないんだけどね。例えばさ、もし未来が見えたとして、それを一人で抱えなきゃいけないんだとしたら、それってどれくらい怖い事なんだろうね』

 屋敷を去る時置き土産のようにそう零したルイスの言葉を、未来視などあり得ないとそう一蹴したが、今のリーリエの横顔はその状況と重なる気がした。
 テオドールは"あり得ない"と今でも思う一方で、"もしそうなら"を考えてしまう。
それはとても残酷で、並の精神なら崩壊してしまうだろう、と。

「……逃げるか?」

 テオドールの言葉に反応し、リーリエの肩がぴくりと動く。

「もし、俺が逃してやると言ったら、リーリエは逃げるのか?」

 青と金の目はリーリエの覚悟を問うようにそう尋ねる。
 真っ直ぐ見つめてくるテオドールと空で視線を交わしたあと、リーリエはふっと息を漏らして静かに笑った。

「できたら素敵、だと思います」

 それがリーリエの答えだった。

「でも、それでは何の解決にもならないから。この世界が、私に対して塩対応だったとしても、私が好きになってしまったのなら仕方がないと思いませんか?」

 全てを投げて逃げ出してしまうことができないくらいには、リーリエは推しが溢れるこの世界を愛し過ぎてしまった。

「こういう時は惚れた方の負けと相場が決まっているのですよ、旦那さま」

 リーリエは闇夜に向けて手を伸ばす。
 まだこの手は何も掴めていないけれど。

「私はカナンを、アルカナを、アシュレイ公爵家とそこに連なる人たちを、そして私の推しを愛しているから」

 誰にも代わらせたりしない。

「破滅ルート回避のために、最期までみっともなく足掻くのですよ」

 行きつく先が断頭台に続く道だったとしても、進まなければ始まらない。

「そうでなければ、いつも身体張ってる私の"推し"に顔向けできませんからね」

 これから先、いくらフラグが乱立したとしたもリーリエのやる事はさして変わらない。

「破滅を回避し、推しを愛でる。死んであげる気なんてさらさらないのですよ」

 テオドールに笑いかけた翡翠色の瞳にはもう悲嘆の色はなく、いつもと変わらず楽しげに笑うリーリエがそこにいた。
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