王子様とハナコさんと鼓星


『話してないのに信じてるんだ。と、いう事は…今回の事も話してないの?』

「…切るよ…」

『だから待てよ。でもさ、それならちょうどいいや。言わないでくれないかな?今回の事も昔の事もさ』

聡くんの声が頭に響いて、傷が疼く。

『華子にとっても、あまり言いたくないよね?あんな王子みたいな旦那様に。昔…俺の事が好き過ぎてなんでもしてくれた事。どんな事とか聞いたら幻滅するんじゃない?』

「やめて。思い出させないで…」

『なら、言うことを聞いて。俺、いま昇進が掛かってるんだ。もし、桐生凛太朗の妻と過去にトラブルあったとかさ…会社に知られたら俺の人生終わるから』


「……っ」

『それとも話す?話すなら…』

「わかった!話さない、黙ってる!だから…もう電話掛けて来ないで、私の前に現れないで」


荒々しく叫ぶ。呼吸が乱れ、ハッと我に返った。小刻みに空気を吸って吐くを繰り返す。

電話越しに聡くんの笑い声が聞こえた。


『それでいいよ。そうやって俺の言う事を聞いていればいいんだ。じゃあな』


プツッと電話が唐突に切れる。聡くんの洗脳に似た行為はいつも嵐の様に私の心をかき乱してからあっという間に去って行く。

手からスマホが離れ、床に落ちる。大きな音にゲンマはビクつき私の足元にすり寄って来た。


いつも鳴かないゲンマが小さな声で鳴く。その音に頬を涙が濡らす。


聡くんとの事は私の中では消える事のない過去。今まで、記憶の片隅に閉じ込めて来たけど、あの日に再会してからはもう閉じ込めることが出来ない。

あの人との恋愛は普通の人との恋愛とは異なっていた。でも、その時はそれが普通だと思っていた。とある事件が起きて我に返るまで。


手を伸ばして、右側の瞼に触れる。そこには綺麗に治ったけど、傷があると言われれば誰もが分かる傷跡がある。

5年経過して、やっとここまで分からなくなった。
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