彼の甘い包囲網
奏多とは未だに話をしていない。

千春さん曰く、現在はアメリカにいるらしい。

フランスに出張してそのままアメリカに飛んだそうだ。

奏多が幕引きをしなくちゃいけないから、と千春さんは言う。

奏多が恋しい。

奏多が留学していた時は四年間連絡もとらずに、離れていたのに。

あの頃は奏多がいなくて、どうやって毎日を過ごせていたのかわからない。

今は数日なのに。

奏多への気持ちを自覚して奏多の気持ちを温もりを知った今は離れることが耐えられないくらいに辛い。

自分がどれだけ奏多が好きで、弱いのか思い知らされる。



週が明けて、いつもの一週間が始まった。

私は相変わらず千春さんのご自宅に居候させてもらっていた。

会社への送り迎えは柊兄がしてくれていた。

今のところ何か言われたり嫌がらせを受けるといったこともなく、もしや全てが杞憂なのではないかと思える程だった。

社内で瑠璃さんの姿を見かけることもなかった。

あの日から、できるだけ杏奈さんが一緒に行動してくれている。

杏奈さんは以前から有澤さんから話を聞いていて、協力を求められたそうだ。

偶然居合わせて食事に行ったのだと思っていたけれど、そうではなく。

有澤さんと杏奈さんは私を守るために、考えて水面下で動いてくれていたことがわかった。

楓ちゃんは私の大事な後輩だから、と杏奈さんは真剣な眼差しを向けて話してくれた。




「楓ちゃん、会議室の準備お願いできる?
私もすぐに行くから」


いつものように杏奈さんに頼まれて、最近ではすっかり馴れてきた業務に向かう。

エレベーターの前を通りかかった時、人が降りてきた。


「あら、ちょうど良かった。
安堂さん、よね?」


パンツスーツを颯爽と着こなした女性に声をかけられた。

綺麗に結われたシニヨン、漂うきつめの香水の香り。


「秘書課の徳井です。
これ、佐波さんに渡してくださる?」

差し出された茶封筒。

「……はい。
お急ぎですか?」

「いいえ、事前に連絡はしてあるわ」

「わかりました、お預かりします」

受け取って軽く頭を下げ、踵を返した私に。


「身のほど知らずね」


小声ながら辛辣な言葉が刺さった。

振り返ると、先程とは違う、明らかな悪意を感じる視線にぶつかった。

カツン、とヒールを鳴らして徳井さんが私に一歩ずつ近づいてくる。

香水の香りが近付く。


「人の婚約者を奪うなんて。
可愛い顔をして恐いわね。
そのくせ有澤くんにも近付くなんて。
どれだけ男好きなの?」

傍から見たら仲の良い女性同士が話しているかのような態勢。

貼り付けられた笑みさえ完璧。

なのに綺麗に口紅が塗られた唇からは悪意しか感じない。

突然の言葉に反論できない。

言われた意味がわからない。


「……やだ、まさか図星?
最低ね」


クスッと耳元で嘲笑される。

手が冷たい。

封筒を握りしめる指の感覚がわからない。


どうして?

どうして初対面の人にこんな言われ方をされなければいけないの?


ぐるぐる頭を回る言葉に。

気分が悪くなる。
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