彼の甘い包囲網
「涼はね、瑠璃が暴走するのを止めたいんだと思うの。
私もそう。
蜂谷さんに瑠璃がずっと憧れていたのは知っていたの。
私は蜂谷さんに会ったことはなかったけれど……瑠璃が高校生の時、よく嬉しそうな笑顔で帰ってきたのよ。
一緒に出掛けた、とか、話ができた、とか。
些細なことが嬉しかったみたいでね、見ている私も嬉しくなるくらいに幸せそうに笑っていたわ」

杏奈さんは切なそうに瞳を眇めた。

杏奈さんのアイスコーヒーの氷がカラン、と音を立てて溶ける。

適度に冷えた店内に杏奈さんの声が響く。

ガラス窓の向こうには明るい暑さを含んだ午後の日射しが道行く人を照らしている。


「……だけどある時期から辛そうな表情をするようになったのよね。
彼が私を見てくれないって、私よりもあの子を優先する、とか言い出して……蜂谷さんと瑠璃は正式に付き合っていたわけでもなかったから瑠璃が抗議できることではなかったのだけど。
それでも口に出せずにはいられなかったのね」


杏奈さんの言葉が私の胸に重く響く。

瑠璃さんの想いがわかる、なんて軽々しくは言えない。

だけど。

その苦悩は、不安は、覚えがある。

自分の好きな人の気持ちが自分ではない誰かに向いているという不安。

焦り。

嫉妬。

言い切れない、表現できない感情。

迷子になってしまったような湧き上がる心細さに震えそうになる。

……瑠璃さんはずっとそんな感情と戦ってきたのだろうか。


「……杏奈さんは私が疎ましくないんですか?」

ポツリ、と呟いた私の言葉に、杏奈さんは小さく首を傾げた。

「どうして?」

「……杏奈さんと瑠璃さんは幼馴染みで……瑠璃さんはずっと奏多を想っていて……だけど私が……」

「……楓ちゃんがいなければ瑠璃の恋が成就したのに、ってまさかそんな下世話なことを考えてる?」

いつもの柔らかい声から一転して、杏奈さんが厳しい声を出した。

「それは違うわ、楓ちゃん。
人の気持ちは誰にも操作できないの。
蜂谷さんが楓ちゃんに出会って楓ちゃんを選んだ。
それは必然で仕方がないことなの。
誰も悪くない。
ましてそれで、私が瑠璃と幼馴染みだからって楓ちゃんを疎ましく思うなんて有り得ないわ。
私にとって瑠璃は大切な幼馴染みで、楓ちゃんは可愛い後輩。
二人とも大切よ」

言い切って、杏奈さんは晴れやかに微笑んだ。
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