彼の甘い包囲網
「何て、な。
今はまだ聞かない」

フッと剣呑な雰囲気を和らげて、奏多は少し悲しそうに微笑んだ。


「……俺にはお前が必要だし、何より大事だ。
お前には俺しかいないんだよ」


言い聞かせるような上から目線の言葉。

結局、答えにはなっていない。


「……答えになってない」


さっきの緊張は何処へやら。

不機嫌に私が呟くと。


「コレ、書いたら教えてやる」


長い指がピラッと婚姻届を摘まむ。

綺麗に切り揃えられた爪。

意地の悪さを前面に押し出した悪い笑顔。

その笑顔さえ色気満開だなんて何の冗談だ。


「書きません!」


全力拒否をして、フィッと顔を背けると。

視界の端で奏多がクスッと微笑んだ気がした。


「……まあ、気長に攻める」


そう言って。

チュ、と。

柔らかく私の頬にキスをして。


「じゃあな、俺、今から会社行ってくるから。
婚姻届、書いとけよ」

ポンポン、と私の頭を軽く叩いて、奏多は部屋を出ていった。


「か、書かないってば!」


私の必死の叫びにも、クスクス笑いながら。
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