いちばん、すきなひと。
もっと近くに
あれから、何度目の春を見送ったのだろうか
桜の木が桃色に染まるのを見かけると、少し切なく
そして同時にーーー暖かくなる。


「すいませーん!今日はお先に失礼します!!」
時計の針が定時を刺した瞬間
私は席を立ち上がり、荷物を引っさげてタイムカードを切った。

「あれ、珍しい。予定あるんだ」
近くにいた休憩中の先輩が、からかうように話かけて来る。
「私にだって予定のひとつやふたつ、ありますよ」

タイムカードを片付けながら返事をすると、先輩は大袈裟におどけてみせる。
「へえ。万年終電帰りのみやちゃんが、そんなに必死に帰る事があるなんて意外〜」
「なんかシレッと失礼なこと言ってませんか……?」
「まあまあ、いつも頑張ってるのを知ってるって事よ」

ポン、と肩を叩いてそういう先輩に
はは、と愛想笑いを返して
「ですよね〜という訳で、お疲れさまです!」
サクッとその場を切り上げ、フロアを後にした。

今日のために、毎日残業して仕事を前倒しに片付けた。
いつもイレギュラーな出来事が起きて、予定が狂うことが多いこの業界にも
いつの間にか慣れてしまった。

電車に乗りながら、メッセージを送る。
『予定通り帰れた!』
しばらくのタイムラグの後、相手から返事が来る。
『お疲れさま。よかったな』

じゃあ、時間通りに駅前で
とメッセージで打ち合わせをして、開かないドアにもたれかかり
外の景色を眺めた。

(綺麗な夕焼け)
ここ最近は忙しくて、真っ暗な空しか見ることがなかった。
こんなにゆったりと電車に乗ったのはいつぶりだろうか。

年に一度の、この日だけは
なんとしてでも、早く帰る。



久しぶりの風景。
通い慣れた駅。

就職して数年。
帰りが遅くなるのを理由に、私は一人暮らしを始めた。
それ以来、実家にも年に1度帰るかどうかの日々だけど
この駅だけは、よく降りる。

「お待たせ!」
改札口を出てすぐ
目の前に立っていた彼に、声をかける。

「おー、お疲れ」
スーツ姿が馴染んだ、野々村がいる。

「よかったー、早く帰れて」
「ホントにな」
「ここんとこずっとピークでさー」
「じゃ、頑張ったご褒美にうまいモン食おうぜ」
「だね!」

よーし飲むぞー!と
私は彼の腕に手を回し、通い慣れた店へ向かった。

「それじゃ、久しぶりに」
「かんぱーい!」
二人でグラスを合わせて、お互いを労う。

「涼は仕事、大丈夫だった?」
名前で呼ぶ事にもすっかり慣れた。
「俺はいつも通りだからな。楽勝」
彼は相変わらず自信たっぷりに余裕の笑みを零す。

「そういう有能なトコ、尊敬するよホント」
「おっ珍しく褒めてくれるね〜」
「まあね、たまにはね」
「素直でよろしい」

ふふ、と二人で笑い合い
お店の席から見えるガーデンテラスの光を眺めた。

店を出て、通りかかる映画館。
「お、久しぶりに何か観る?」
そういやここ最近は、私の帰りが遅いのもあって
ゆっくり映画を観る事がなかった。
「いいね。何やってるかな?」



なんだか懐かしい感じの、青春映画を選ぶ。
高校生の二人が主人公。

あの頃私たちもこうやって
すれ違いながらも、思い合ったんだね
そんな風に切なくなりながら
ハッピーエンドの二人に自分たちを重ねてしまう。

「……いい映画、だったな」
「うん」

コーヒーショップでテイクアウトしたドリンクを片手に、
懐かしい道を歩く。
「久しぶりに、寄り道する?」
ふいに、彼がそう言った。
「寄り道?」

やってきたのは、懐かしい場所。

数年前の今日、ここで二人で抱きしめあったのが
今でも昨日のことのように思い出される。

二人並んで公園のブランコに座って、空を仰ぐ。

「今日は星が綺麗に見えるね」
仕事帰りに見慣れた空も
彼と二人だと、幻想的に見えるのは何故だろうか
「ああ」
野々村は言葉少なめにそう答えて、空をみた。

少しの間、無言で

「……なあ」
キイ、とブランコが軋んだ。
野々村が、私の前に立つ。

「……俺さ、お前の事を応援したいって思ってるんだけど」
突然切り出された話に、何事かと思いつつ
「うん」
とりあえず頷いて、言葉の続きを待った。

「もっと、近くに居たいんだよ」
「……それは」
どういうこと、と聞く前に
「もう、離さないってあの日誓っただろ。だから、どんなことがあっても俺はーーーお前のそばにいる。だから……もう少しさ」

そこまで言って、何か言葉を探すように
もどかしげに彼は頭をかき、少し目を伏せる

もう少し
私はどうしたらいいんだろう

仕事が楽しくて、一生懸命やってて
帰りがいつも遅いのは、正直気になってる。
だけど、今しかできない事だとも思っているから

彼の優しさに甘えていたのかもしれない。

返す言葉が見つからなくて
気まずい気持ちで、彼を見つめる。
ごめんね、と言うのも違う。

それは一番、彼が分かってるはず
きっと、そんなつもりで言ってるんじゃない。

「ーーーああ!もう」
少しヤケになったようなそぶりで、彼は前髪をかきあげて
私の目を見て言った。

「ごちゃごちゃ屁理屈言うのやめた。いいか、しっかり聞けよ」
「……」
私は何を言われるのかと
ブランコに腰かけたまま、背筋を伸ばして身構えた。

「ーーー結婚しよう」


!?


息が止まりそうだった。
全くの予想外すぎて。


今、彼は何を言ったのだろうか
聞き間違い、じゃないよね?

彼の言葉の意味をようやく理解できた途端、
心臓の音で周りの音が聞こえなくなった。
耳が熱い。

「……一緒になれば、帰りが遅くても待ってやれる。疲れたお前をいたわることもできる。辛いことがあってもすぐ慰めてやれる。メッセージのやり取りや電話じゃなくて、もっと身近に触れられるからーーー」
彼はそう言いながら、後ろ手に持っていた箱を差し出した。

「……受け取ってくれる、か?」

恐る恐る彼の手から、小さな箱を受け取り
蓋を開ける。

「……!」

華奢なデザインの指輪が、月明かりに照らされて
白く輝いて見えた。

私は無言で、彼を見る。
彼はいつもより優しい眼差しで、少し不安気に微笑む。
「……嫌、か?」

私は首を左右に振って、
そこで初めて、涙がこぼれた。

「……ありがとう」
嬉しすぎて、声が震える。
前に彼の気持ちを聞いた時は、言葉にならなくて泣き叫んだ。
今も同じくらい、胸が痛い。
だけどそれはとても幸せな切なさで

「私で、いいの?」

離れないから大丈夫、なんて言ったのは誰だったのか

「当たり前じゃねーか、他に誰がいるんだよ」

お前しかいない、と抱きしめられて
ようやく、実感する。

「……うん」

彼はそっと、薬指に指輪をはめてくれる。

「綺麗」
「うん」

二人で向かいあって、確かめあって
互いに唇を寄せる。


いちばん好きな人とは、幸せになれないって
誰が言ったんだろうね。

私は、いちばん好きな人と
幸せになれるよ。


あの時の私たちは、まだ幼くて
大事なものを守るために
自ら、遠ざけようとした。

でも、いちばん純粋な時期だったからこそ
全力で恋して、全力で走れた。
一度は諦めて、手放した恋だけど

本当に、運命の人だったら
こうしてまた、つながるんだね。

あの時、彼に会えて。
彼に恋して
本当に、良かった。

野々村、ありがとう。

「……愛してるよ」


fin.
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