いちばん、すきなひと。
どこも居心地が悪い。
始めこそ、ただのスキー合宿だの観光がしたいだのと非難囂々だった修学旅行だったが。
帰ってきてみると、案外楽しかったという感想になる。

文字通り、ドキドキワクワクではあったのだが。
私としてはいささか複雑な心境ではあった。

松田のよく分からない話もしかり、
目の前でカップル成立という、面白くも自分はそこに入れないという疎外感。
そしてーー野々村とも大した話もできず。

唯一できた会話が、土産の話と「松田と何を話してたのか」なんて。
もっとムードのある何かをうっすら期待した自分が恥ずかしくなるくらいだ。

帰宅して荷物を片付け、家族に土産を配る。
お決まりのように感想を求められるが、これまたお決まりの返事。
「うん、楽しかったよ。雪が柔らかくて転んでも痛くないのがよかった」

今度は観光に行きたいなぁ、とひとりごちて部屋に戻る。
ベッドに倒れ込むと、どっと疲れが押し寄せてきた。
やっと、帰って来たという実感が沸いたのだろうか。

病み上がりで旅行なんてするもんじゃない、と軽く溜息をついて。
私は頭の隅にくすぶっている様々な考え事を棚の上にあげて
ひとまず本能のままに眠りこけた。




***




気がつくと、桜色の並木道も
新緑の爽やかな道へと変わっていた。

制服も半袖になった。
この季節が来ると、眩しい。
彼が、より眩しく見えてしまう。


修学旅行で彼と話す事ができたのは、最後の好機だったのだろうか。
あの時は、以前と比べて物足りなさを感じていた。
それがーー
クラスが離れてしまったせいか、日に日に彼と話す事もなくなり
今では遠くから眺めるだけになってしまった。

松田とは相変わらず、のらりくらりと無難なやり取りを続けている。
相変わらず理解不能な台詞が時折聞こえるが、右から左へ流している状態だ。
それでも、彼のいない二人の会話はどことなくぎこちなくて。

あんなに、ノートをせがみに来ていたのに
松田やその他の元クラスメイトとじゃれ合いに来ていたのに
それすら、見かけなくなった。

彼も、それなりに楽しくやっているのだろう。
自分の道を歩いているのだ、きっと。

いつまでも振り返って、立ち止まっているのはーー自分だけ。


「……なんかいいことないかなぁ」
思わずひとりで呟いてしまう。
緑の木々がさわさわと慰めてくれるように、揺れる。

夏休みも、あと少しで終わるという頃。
私は、部活動を終えてひとり家に向かって歩いていた。

二学期が始まれば、否応無く進路を決めなければならない。
それなりに準備も必要だ。


この夏は、部活動の合間にユキたちとオープンキャンパス巡りをした。
学祭のお知らせを貰って、また行こうという話にもなっているが
正直、自分が行く予定のない学校へ二度も足を運ぶ気にはならない。

大学、短大を中心に見ていたが
ふと、思いつきで調べて目に留まった専門学校。
体験学習なるワークショップに惹かれて、ひとりで行ってみた。

本当は、ひとりで行く勇気なんてなかった。
行きたくなかった。

だけど。
友達は誰も予定が合わなかったし、ワークショップなんて参加型の専門分野に
興味のない子を付き合わせるのも申し訳ない。

母を誘った。
最後の進路だ。親と見れば少しは考えが変わるかもしれないーーお互いに。
事前にそう伝えておいたのだが
聞こえていたのかは、知らない。


学校見学会の当日。
母はそれどころではなかったようだ。

「財布をなくしてしまったの。大変だわ、どこに落としたのかしら」
青い顔をしてオロオロしている。
なんというタイミングの悪さ。

私は閉口してしまった。
彼女は私の進路の話をすっかり忘れているようだ。

仕方あるまい。財布なんて落としたらだれでも我を忘れて必死に探すだろう。
中身がどれほど入っていたのかは知らないが。


よりによって何故こんな時に。
私はそう思うしか、なかった。

とりあえず、今日の予定を伝えてみる。
「お母さん、今日は専門学校の見学会が……」
「なに……あぁ学校?ひとりで行ってきたら。お母さんそれどころじゃないから」

だろうね。

分かってはいたが、心に靄のかかる言葉だった。


「それどころじゃない」

私のーー娘の進路は、「それ」程度なんだと。
専門学校に興味がないから、なのかもしれない。
必死にそう思う事にした。

そうでもしないと、自分の存在価値を見失いそうになったからだ。


もちろん、財布の重要性はわかっているつもりだ。
母にとってはよほどの事だったのだろう。

だけど。
何かーー消化不良の気分で。

お金と私、どっちが大事よ
なんて古ぼけたドラマのような台詞も虚しい。

私は何も言えずに、だまって手を出した。
「お金。交通費ないと行けないでしょ」

はぁ?と言いたげな母だったが
私にも私の予定があるのだ。

もう、親には頼らない。
だけど、金銭的な事は仕方ないだろう。


母は溜息をついて、別の財布からお金を取り出し
私に手渡した。

特に何の言葉も掛けずに。


それが、約束を反古にした者の態度だろうか?
私はふつふつと怒りが込み上げてきた。

私にとって、大事な進路を決めるイベントの一つなのだ。
それを、自分勝手なミスによる都合で参加できなくなったというのに。
詫びの言葉もないのか。

苛立つと同時に、悲しさも込み上げる。
所詮私は、その程度の娘だったのだ。

普段、私は何かを無理にお願いする事はない。
ある程度の事に関しては自分で何でもしている。

だけど、進路は自分だけの問題でないと父に言われ
家族と相談して折り合いをつけていかないとならない事も分かっていた。
だからこそ、こうして頼んだのに。

結局、そうなんだ。
私は涙で視界が滲むのを堪えて、その場を逃げるように早足で玄関へ向かった。

ひとりで、行くんだ。
もう、ひとりで決めてやる。


学校は、たくさんの親子連れで賑わっていた。
もちろん、友達同士での参加者もいる。

ひとりで来ている子なんているのだろうか。

そんな人を見つけ出す余裕もなく。初めての場所に戸惑いながら
ひとりで、説明も全て聞いた。

全く、頭に入らなかった。

さきほどの出来事が頭から離れず。
悔しい気持ちと悲しい気持ちを消化するのに全ての神経を集中してしまったからだ。

それなりに参加して作品を作って持ち帰ったものの、途中で虚しくなって
駅のゴミ箱に捨ててしまった。


浮かない顔で帰宅すると
母は今朝の出来事をすっかり忘れたかのように嬉々として話しかけてきた。

「麻衣!財布が見つかったのよ」
見てみて、と見せつけられても
何も感じなかった。

私の心は、凍り付いたままだ。

母はそんな私にもちろん気付く事もなく。
「バスの中に落としていたらしいのよー電話したら親切な人が届けてくれたみたい。中身も無事だったのよ。」
あーよかった、と勝手に喜んでいる彼女の顔を見る事ができずに
私は下を向いたまま、靴を脱いで二階へ上がった。

私が帰宅しても感想すら求めない。
所詮、その程度の事だったのだ。

「学校、行けなくてごめんね。どうだった?」
そんな台詞を期待した自分がバカだった。

ただ一言。
それだけでよかったのに。


私は、自分の居場所を見失った気分だった。
ここに居ていいのだろうか。

私は、居なくてもいい存在なんじゃないだろうか。
窓から見える夕焼けは、私のとても好きな景色なのに。
その時だけは、とても悲しいものとなった。
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