いちばん、すきなひと。
それでも時は過ぎて行く。
ーー私は、並木道の木々を眺めた。

あの、涙の味しかしない学校見学を思い出しながらも
誰か慰めてくれやしないかと思って。

「……どうしよっかな……」
家に、帰りたくない。

あれから、何もする気になれなかった。

母もそれ以来、何も聞いて来ない。
そんなモンなのだ。

それが余計に腹立たしく、私を悲しくさせる。

さぁ、と風が吹いて
木の葉が数枚、空に舞った。

「おーい。みやのっちぃー」
後ろから自転車で私を抜き去りながら声をかけたのは。

「……松田」

「今帰り?早いじゃん」
松田は私より少し先のところで自転車を止め、振り返った。
「うん、いつもこんな感じだよ。松田こそどうしたのさ。」

バスケ部は、今月の始めに引退している。
インターハイ出場を果たした、と盛り上がっていたのだけど。
結果は初戦敗退ーー全国の実力の差を見せつけられたと聞いている。

そんな彼が、どうしてここに居るのか。

「うん?……そーだなぁ。部活も終わってホッとしたけどちょっと勉強がさ……」
松田は頭をポリポリとかきながら、どこかバツが悪そうにはにかんだ。

「勉強……って補習か。ナルホド。まーここんトコ部活中心だったしね。」
「やっぱみやのっちは分かってくれるよな!そうだよ、その通り!」
松田は追いついた私の背中をバンバンと叩き、うんうんと頷いた。

「やっぱ最後までやりきりたくってさー勉強そっちのけでバスケばっかりしてたらこのザマだよ」
「アンタ、中学と全く変わってないね」

中三の終わりも、そうやって彼は受験がヤバイと言って勉強会に参加した。
きっとあの時もーーバスケ三昧だったに違いない。

「いいだろ変わってなくて。ーーなぁ、また勉強教えてくれよー」
「野々村に教えてもらいなよ。」

「アイツさ、最近付き合い悪いんだよー忙しいとかって」
「……そうなんだ」

意外だった。
松田の誘いすら断るとは。

受験勉強、なのかな。
それともーー
図書館で見かけた、あの子の顔を思い出す。

今、そんな事考えたくもないのに。

「だーかーらっ、お願い。勉強教えてよーついでに付き合って」
「なんでそうなるの」
「だってみやのっち可愛いもん。頭いいしさー教えてよー」

またこれだ。

彼は毎度会話に「付き合って」だの「好き」だのを連発してくる。
コイツ、こんなキャラだったっけ?

「残念ながらどっちもお断り。私今そんな気分じゃないから」
「じゃ、いつそんな気分になるんだよ」
「どうだろうね」
「じゃ、俺にも可能性はあるってことだよな?」
「なーいっ!」

ちぇ、と不服そうに口を尖らせている彼の顔は、ちょっと可愛い。
だけど
私の中は色々と未消化の問題が多すぎて
彼の事まで、背負えない。


「みやのっちは、何悩んでんだよ?」
ふいに浴びせられた質問に、私はドキリとした。

「……何って……」
「だって、なんか憂鬱そーな顔してたじゃん。背中丸かったし」

そんな台詞、前にもどこかでーーー

あれはいつだったんだろう。
つい、この間の事だったのに。

そしてその台詞は。


「俺に相談しなよー……話くらい聞いちゃる」


少し、込み上げるものがあった。
どうして
こんな気持ちになるのだろう。

あの時は平気なフリしていられたのに。
もう、そんなに頑張れない。


会えない時間が多ければ、気持ちも離れると思ってた。
平気になると思ってた。
それなのに。

こんなちょっとした事で、思い出す。
切なくーーなる。


隣にいるのは松田なのに
彼じゃないのに
どうして。


「……みやのっち?」
ずっとうつむいたまま黙っていた私を心配して、松田はもう一度声をかけた。

これ以上、抱えきれない。
だけど、美味く全てを伝えられる訳もなくーー


「……進路、悩んでるんだ。」
話を、すり替えた。
ごめん松田。

こんな方法でしか、アンタを頼れない。
でも、突っぱねる事もできない弱い私を許してほしい。

付き合えないのに。
調子のいい話だね。

だけど。
今は少しだけ。


「進路?」
松田はキョトンと首を傾げた。
「みやのっちは美術系だろ?決まってないの?」

「……うん。大学か専門か〜って」
「そうなんだ。俺と一緒じゃん」
「え」

意外な彼の言葉に、私は聞き返してしまった。
松田はうんと頷いて
「俺も、大学行くか専門行くか迷い中。俺さー電気工学が好きなんだよね。」

私にはサッパリの分野だ。
でも、確かに彼はそっちの教科は強い。
そういうのって男子だなーと感心していた事がある。


「専門と大学って、やっぱ違うのかな。」
「うーん、大学にしても学校によって違うだろうしね。専門もそうだけど」
「だよねー」
私は溜息を付いて、話を続けた。

「ウチさ、多分親の経済事情で四年制は厳しそうなんだ。専門か短大の予定なんだけど、せっかく通うなら濃い所がいいなと思って」
「……そうだよな。適当に過ごすよりは専門分野をしっかり身につけて社会に出る時の武器にするのもアリだよな」

二人でうんうんと頷きながら、ゆっくりと歩く。

「難しいよねー親は短大に行かせたがってるし。でも私は」
そこまで言って、気付いた。

やっぱり、私の中の気持ちはもう決まっていて。
言い訳をしたかったのだと。

「……みやのっち?」
途中で止まった私の話に、松田が異変を感じてこちらを見る。

「ん?あ、いやちょっと分かったなって今。やっぱり私、専門分野を身につけたいんだわ。」
へぇ、と松田は何とも微妙な返事をした。
「なんだそりゃ。今気付いたの?」
うん、と頷く私を見て
「……ホントみやのっち面白いなぁ。ますますイイじゃん。」

だから
その最後の一言が余計なんだってば。

「お褒めいただきどうもありがとう。それとーー相談乗ってくれてありがと」
少し、心が軽くなった気がした。

松田といると、どうしても彼を思い出す。
それが少し悲しいけれど。
それでも、この隣の存在が今はありがたくて
素直に、お礼を告げた。


「……おう。じゃお礼にまたノート見せて」
「そう来るか」
「あったりめーよ」
「仕方ないな。今回だけだよ」

そう言って私は、カバンから今日の英語の授業ノートを一冊取り出した。
「今日はこれ使わないから」
「やった!サンキューみやのっち!」

彼は嬉しそうにそれを受け取り、それじゃと自転車で帰って行った。

結局、それが目当てだったんじゃないか。
私は少し残念に思いながら、同時にホッとして。
家に真っすぐ帰った。


そして家に着くなり、母に言った。
「私、専門学校に行くから」
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