いちばん、すきなひと。
本意は分からないけど、素直に喜ぶという事
さっきの、野々村の言葉。
昔の自分なら変に焦っていたかもしれない。
そう思うと笑えてしまう。

あれは、サッサとその場を離れるための口上。
否定すると絡まれるから、肯定しておいて去るのが正解ってこと。
そんな事まで理解できてしまう自分がおかしい。

やっぱり、あの頃は若かったな
なんてほんの少し前の事なのに
随分遠い昔のような、気がする。

そんな風に冷静になれる自分が
少し、寂しい気もした。


人混みに紛れて少し歩いて、目的のお店にたどり着く。
レンガ造りのレトロな雰囲気が漂うビルの階段を地下に向かって降りる。
なんとも雰囲気のある隠れ家風のお店だった。

「……おしゃれ」
「だろ?」
思わず出た言葉に、野々村がいつものセリフで答える。
「俺がイイ店って言うのも分かるだろ」
「うん」
ちょっと癪に触るがそこは素直に頷いておこう。

オレンジ色のライトが灯された店内はレンガの色が強調されて
温かみのある木製の椅子が更に、異国のような雰囲気を感じさせた。

案内されたテーブルに二人で向かい合わせに座る。
周りも程よく人が入っていて、ざわつきも心地よい程度だ。
「みやのっち、何食べたい?」
野々村がメニューを広げて見せてくれた。

どうやら主軸はイタリアンのようだ。
パスタやピッツアなどの本格的な名称がメインに並んでいる。

「あ、マルゲリータ食べたい」
「ん。じゃそれと……」
二人であれだこれだと相談して注文する。

映画の感想を話している間に、飲み物と料理が運ばれてきた。
あまりにも自然な流れすぎて
私はもう、さっきの酔っ払いの事なんてすっかり忘れていた。

「それじゃ、乾杯〜」
二人でグラスを合わせる。
「こんなオシャレなお店、バスケ部で来るの?」
「来るよ。ここ、パスタも美味いからさ。あと雰囲気いいだろ。」
「へえ〜みんな凄いね」
あの、ガヤガヤしてるだけのバスケ部集団が
こんなところで食事をしている様子が想像できない。

「みやのっちはさ、専門だろ。今年で卒業だっけ?」
「うん、そうだよ。」
「就職とか、どうしてんの?」
「うーん、ぼちぼち書類送ったりポートフォリオ作ったりしてるかな」
「へえ」

もう、卒業は目の前だ。
早い子は最終面接だの内定だのという話も聞くが、
全員が就職するわけでもないので、結構のんびりしているのが現状だ。

「美術系だからアーティスト?っていうか、真面目に働く子ばかりじゃないからかな〜そこまで切羽詰まってないというか」
我ながら呑気な返事だと思う。
世の学生は皆必死で面接しまくっているんだろうけど。

「へえ……なんか、良かったな」
野々村は少し驚いた様子でそう言った。
私は彼の言葉の意味が分からず聞き返す。
「何が?」
「ほら、オマエ真面目だからすぐ必死になるじゃん。もっと焦ったりするのかと思ったから」
「あー」
私は納得の声を上げた。
確かにその通りだ。

さすが野々村、相変わらず良くご存知で。

「そうだね、ホントそうだよ。焦ってないのが不思議だね」
あはは、と笑いながら私は言った。
食事もほぼ終えて、追加で頼んだカクテルを楽しむ。
「なんかね、今の学校は居心地が良くてさー。ゆるくても何とかなるって感じでね」

そんな私の話を、野々村はうんうんと頷いて聞いてくれた。
「その学校、みやのっちに合ってたんだな」
「うん」
それだけは胸を張って頷ける。
あんなに悩んで決めた進路だったけど、良かったと。

すると突然、野々村がいつものいたずらっぽい笑みを浮かべて
「なあ、みやのっち。イイもんやるから手え出して」
「なになに?」
「目、瞑れよ」
「なんで?」
「いいから」
もう、何思わせぶりな事を今更……とブツブツ文句を言いながら大人しくそれに従った。

手首に何か、冷たい感触。
「良し。いいぞ」
彼の声で目を開けるとそこには。
「……わあ」

桃色とパールのような石で作られた、ブレスレットだった。
「何?どうしたのこれ」
「今日さ、友達の買い物に付き合ってたらイイの見つけたからさ」
それで今日の映画は夕方になったのか、と納得しつつ
やっぱお前似合うわ、と満足げな笑みを浮かべる野々村の顔を見て

懐かしい夢を、見てしまうじゃないか
一瞬、思ってしまった。

だけど、そこは落ち着いて
「嬉しい!ありがとう」
心から、素直に喜ぶことにした。

「おー、大事にしろよ?」
「するする!」

夢は見ない。
その代わり、あの頃できなかった
『素直になる』という事を、するだけ。

彼の気持ちに振り回されずに済むように
私は私で、楽しめばいい。
心に、あの時得た宝物があるから大丈夫。
もう、辛い恋はしないんだから。

今、楽しければ
それでいい。
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