いちばん、すきなひと。
いつもどおり。
朝、教室へ入ると。

「みーやのっち、おはよー」
野々村、だ。

私が平然を装うより早く
アイツが声をかけてきた。

「おはよ。」
普通に挨拶して、荷物を机に下ろす。
教科書を机に突っ込んでいると
「みやのっち、昨日の宿題やってきた?」
野々村は膝を曲げ、下から私を見上げるように覗き込んで聞いてきた。

「宿題?」
そんなのあったっけ。

「そ。英語のワーク。P56」
あ。

「……やって、ない。」

忘れてた。
完全に。

「えぇーっ⁈マジでっ⁉︎オレ、みやのっちアテにしてたのにー!」
「おいコラ勝手にアテにするな」
やべえ。
英語の宿題は忘れると痛い。
減点される。

この時期に減点はヤバイどころじゃないだろう。
慌てて机の中からワークを取り出す。
パラパラとめくって、宿題のページを開く。

穴埋め問題か。
これならすぐに出来そうだ。

席に着いて、ペンを取り出した私を見て
野々村もつられて自分の席に着く。
「今からやれば間に合う量じゃん。えーと、なになに……?」
私は思いつくままにペンを走らせ
次々と穴を埋めていった。

楽勝。

簡単なまとめページで、よかった。


それにしても。
宿題忘れるなんて。

どんだけ悩んでたんだ私。

くだらない。



はぁ、とため息を着いて。
ワークを閉じようとすると。

「みやのっち、答え合わせしよーぜ」
後ろから聞いてくる。
「……別にしなくてもいいんじゃない?」
「オマエ冷たいね。授業で当てられて間違えたら恥ずかしいじゃん」
「アンタのほうが賢いんだから間違ってないでしょ。わざわざ答え合わせなんてしなくても。」

「じゃワーク見せて」
後ろから手が伸びる。
「アンタも終わってんのに何で見せなきゃならんのさ。お断り!」

「……みやのっち、何かあった?機嫌悪い。」

鋭い。

オマエのせいだ、とも言えず。


「何もない。」
「ウソ。オマエが宿題忘れるとかありえねーしっ!絶対何かあっただろ、言えよ。」
後ろから軽く肩を掴まれる。

やめて。

「なんでアンタに言わなきゃならないんだよっ……何もないからほっといて」

踏み込まないで。
気づかないでほしいから。

かといって。
肩の手を簡単に払ってしまえない自分が
情けない。


「……何かあったら、言えよな……オマエを泣かすようなヤツは俺が許さん。」


何よそれ。

アンタだよ。
あんたのせい、だよ。


なんで。

なんで
そんな事
簡単に言えるんだ。


腹が立つ。
私ばかり振り回されて。


感情が高ぶって泣きそうになる。
こんなところで泣いては、ダメだ。
堪えろ、自分。


目を瞑って、静かに深く
息を吐く。
後ろに気付かれないように。


タイミングよく、チャイムが鳴った。
先生が教室に入って来る。

野々村は私の肩から、手を離した。


小さなため息が、聞こえた。
不機嫌そうな。

怒った、かな。

ごめん。


心の中で、謝った。

素直じゃなくて、ごめん。
何も言えなくて、ごめん。


誰にも、言えないから。
誰にも、言わない。


それで、いい。


そのほうが平和だと思うから。




おかげで。
先生の話が全く頭に入らない。
どうしてくれるんだ。

せっかく今朝、気持ちを切り替えてきたのに。
こんなことで、覆されるなんて。
自分が情けない。



私が勝手に、好きなだけ。
誰にも言ってないし
元々、私と野々村の間には何もない。

ただの、友達。


野々村の言動ひとつひとつに
いちいち反応してはダメだ。

直子と別れたと聞いて
変に期待するから、こんな事になるんだ。

期待?
バカじゃないの。
私なんか眼中にないって
散々分かってる事じゃない。



ホント……馬鹿。



最悪。




頭は動いてないけど、
とりあえず黒板に書かれた事をノートに写して。
必死に手を動かしながら
違う事を考えていた。


忘れよう。
さっきの出来事は。



何も、なかった事にする。



何度も自分に言い聞かせて
一時限目が終わった。



教科書を片付けて。
次の授業の用意を黙々とする。

野々村の声は、聞こえなかった。

少し、ホッとした。
でも、少し残念な気持ちもした。



「みやちゃーん、トイレ行こ」
桂子だ。
何もなかったかのように席を立ち
桂子と教室を出た。

「昨日の漫画、読んだ?」
桂子が鏡ごしに、聞く。
「ごめーん、まだあんまり読めてないんだ」
「そっかーアレ、面白いからさ。読んだら感想聞かせてね!」
「うん、今週中に読みたいっ」

他愛ない話だけど
普通に戻れた気がして
元気出た。

桂子、ありがと。

相談したいけど
話せなくて、ごめんね。



他の友達も交えてあはは、と笑いながら
教室に戻る。
チャイムが鳴った。

慌てて、席に着く。
「みやのっち、ちょいノート貸して」
野々村が両手を合わせて、拝むように頼んできた。

「…………」
黙って、ノートを手渡す。
「サンキュ、助かった!オレ、昨日寝てたから板書してなくてさー」

「寝るなよ。こんな時期に」
「眠いモンはしょーがねーべ」
「いいねー優等生は気楽で」
「だろ?」
「そこは否定するところでしょうがっ」
「そこをあえて認めるのが、オレ」
真顔でこんな事言うヤツ、他にいないんじゃないか。
呆れた。


「相変わらずみやのっちのノートは見やすいわー。サンキュー」
「次からジュースでも奢ってもらおかな。」
「マジかよ……」
「それくらいの事はしてると思うけど?」
「考えとく」
「やった」

別に、本当にジュース奢ってもらおうとか
思ってないけど。

なんだ、フツーじゃん。


私が、おかしかっただけ。

ホラ、こうやって
いつも通り過ごせるじゃん。
これで、いい。

このまま、楽しく過ごせたら
それだけでいいや。



こうして。
普通に何日か、過ぎていった。

もう、野々村の事がどうこうとか
自分がどうだとか
気にする事も考えることもなくて。

一緒に話せてバカやって
笑い合うだけで楽しくて。
それでいいやと本当に思ってた。


直子との事も
日に日に記憶が薄れていってた。

部活を引退したせいもあって
あれから優子と会う機会も減った。
一緒に帰る事も、なくなった。

たまに、宮迫と二人で歩く姿を見かけて、
順調なんだな、と微笑ましく思うくらいだった。


そして終業式。
クリスマスの、朝。

雪が降りそうな、とても寒い日だった。


忘れていた、自分の立場を
思い出した。


ホームルームを終え、帰ろうと
クラスの皆で玄関へ向かったら。

「野々村」
女の子の、声がした。


直子が、玄関口に立っていた。
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