ワンだふる・ワールド ~飼育系女子の憂鬱な1週間

子猫




突然のことに驚いて、廊下へと移動して携帯に出る。
状況が状況なだけに、携帯を持つ手とは逆の手で口元を覆って小声で話す。  


「こんばんは、 どうしたの?」  


「あ、沙希さん、こんばんはぁ!
夜分遅くにすみませぇ~ん。
今、大丈夫ですかぁ?
あ、ちなみにどこにいますぅ?」  


「え!? 今? 会社…だけど…」  


唐突に聞かれて瞬時に考えた末、嘘をついた。
シェパードのマンションに居ると言えば、良からぬ事態に発展すると思えたからだ。


が、子猫の返答は想像を絶するものだった。  


「え?
お兄ちゃんの部屋ですよねぇ?
今、沙希さんがいる場所って」  



――…っ!?

――何で?

――どこかから見られてる?  


咄嗟に振り返って、カーテンの先を凝視するが中からは何も見えない。
黙っている沙希に、子猫の舌っ足らずな声が続いた。  


「沙希さぁ~ん、
廊下に隠れたって駄目ですよ~。
ちゃんと見えてるんですからぁ」  


アハハと笑う子猫に気を取られながら、部屋の中を見回す。
テレビ、ソファ、テーブル…何もない。


最後に本棚の上のぬいぐるみに目がいった。
明らかにシェパードの趣味とは言えない唯一違和感を感じる置物だ。


そのぬいぐるみも別段何もないと目を逸らそうとした時だった。
眼を凝らしてよく見ると、ぬいぐるみの目が赤く光っている。


近寄って確認すると、間違いない。
ぬいぐるみの目はレンズになっていた。


咄嗟に持ち上げようとしたぬいぐるみから、サッと手を放す。  



――盗撮?  



「あ~あ、 見つかっちゃったかぁ」  



子猫が残念がるようにそう言った瞬間、赤いランプがフッと消えた。
沙希の不穏な行動に、シェパードが不思議そうな顔でキョトンとしている。  


「ん? ぬいぐるみがどうかしたか?」  


実の妹に盗撮されてるだなんて、今ここで言えるわけがない。  


「あ、いえ、 可愛いぬいぐるみだなって思って…」  


苦しい言い訳をした後、これ以上はここで会話できないと沙希は通話口を押さえてシェパードに言う。  


「あの、部長、すみません。
急な用事ができてしまって…
今日はこれで失礼します」  


と乱暴な挨拶をすると、バッグを片手に玄関へと向かう。
ブーツを履きながら、「失礼します」と呆気にとられているシェパードに会釈をし、部屋を出た。


エレベーターへと向かいながら、「もしもし」と話しかける。
が、電話はすでに切れていた。


エレベーターに乗り込み、1階へと降りると、もう一度電話を掛ける。
出ないかと思いきや、意外にも電話は繋がった。



「もしもし、由紀恵さん?
これって…どういうことなの?」  



「どうもこうも見ての通りですよ。
ちゃんと監視してないと
邪魔な虫が入って来ちゃうんでぇ」  



「監視してないと…って
何であなたが?」  



「決まってるじゃない。
お兄ちゃんは私だけのものだからよ」  



今までの口調が嘘のように、冷血な低音の声が耳に突き刺さる。
戸惑いながらも、事情を飲み込めない沙希が探るように問いかける。  



「私だけのもの…って
何言ってるの?
だってあなたは部長の…」  



「そう、妹よ」
子猫は沙希の言葉を遮って、淡々と言う。
「血が繋がっていない…ね」  



――血が?

――繋がってない?  


黙る沙希に、子猫はさらに続ける。  



「だから、お邪魔虫は
排除しなくちゃならないの。
あの女みたいに…」  



――…っつ!?

――あの女って…まさか  



「まさか、あなたが?
恵美さんのことに絡んでるの?」  



「そうよ。
だって、あの女
私の忠告をシカトするんだもん。
頭に来たから、 鷲っちにお願いしたの」  



――鷲っち?

――土佐犬?  



「鷲っち、偉いんだよぉ。
私が頼んだ通り、
あの女と結婚したんだからぁ」  



――…っつ!?

――私が頼んだ通り?  


思いもよらない事実に、沙希は驚愕する。
まさか、2年前の事件の裏で子猫が糸を引いていたとは。

 

「何で、そんなことを?」  



「だってぇ
お兄ちゃんは私のものなのに
結婚しようとしてたんだよ。
そんな女には 罰を与えないと…ね」  


さも当然のことを話すように、子猫は淡々と話し、笑った。
そして、彼女を煙たがるように続けた。  



「でも、しつこいんだよねぇ
あれから2年も経つのに
この前、マンションの前で泣いててさぁ

もぉ、ビックリしちゃった。
お兄ちゃんが部屋から出てきたら
どうしよう~って
ヒヤヒヤしたんだからぁ…」  



開いた口が塞がらない。
シェパードの女関係がお盛んだと安易に思っていた。


が、違っていた。
子猫から聞いたマンションの前で泣いていた女とは、新川恵美のことだったのだ。


全ては子猫の仕業だった。
新川恵美の心中を察すれば、どんなに辛い事だったろう。他人事ではあるが、腹の虫がおさまらない。  



「あなたねぇ、」  



文句を言おうとした瞬間、子猫が牙を剝く。  





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