花と蝶
欣宗に手を引かれて歩いた先には真新しい殿閣があった。額縁には「列榮堂」と達筆に書かれている。
「リョルヨン堂?」
正嬪が呟くと欣宗は小さく頷いた。
「ここがお前と私の家になる」
「後宮に家を構えるなど臣下たちが諫言するでしょう。それにこんな豪勢な殿閣を賜るなど…」
「お前への愛だ。今宵は疲れただろう。ゆっくり休むのだ」
そう言って欣宗は金尚膳と元来た道を歩いていった。残された正嬪に寄り添ったのは配下の朴尚宮だった。
正嬪の手を取ると殿閣の中を案内して寝所の支度をしてくれた。
布団を整えると朴尚宮はすぐに退出して正嬪をまた一人にした。
鏡台の前で髪を下ろし、化粧を落とすと寝巻きに着替えてすぐに布団に入った。
目を閉じてすぐに浮かんだのは一人の男の背中だった。
光城君(グァンソン)…
前の夫である。彼は毅宗の第八子で名前は暉といった。生母は毅宗がこよなく愛した惠嬪だ。
惠嬪はその寵愛で後宮と朝廷の二つを動かしていた。王妃だった張妃よりも権勢を誇っていた。
そんな彼女のもとに生まれた光城君は一時ではあるが、世子候補に挙げられた。しかし、嫡子継承の原則の前に毅宗は断念しなくてはならなかった。
「秀玉(スオク)…愛しているよ」
傍にいるはずのない光城君の声が耳元でした。
「秀玉、秀玉…!」
正嬪は名前を呼ばれて飛び起きた。尚宮はおろか、内人も誰もいない寝所を恐怖のあまり見渡した。
人影などなく、正嬪は恐怖を抱いたまま再び布団へと潜り込んだ。
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