月が綺麗ですね
飯塚さんは徹さんが風邪で会社を休んで以来ご機嫌だった。


些細な仕事も私に回さず、自分で処理をしていた。


私にとってそれはありがたいこと。だってその分、徹さんと顔を合わせる機会が減るのだから。


秘書室内でも、”副社長のお妃候補はやはり飯塚さんじゃないか”とささやかれていた。
北林さんと三浦さんを除いて。


二人は『気にしなさんな』と私に優しい言葉をかけてくれていたけれど...。


気にするも何も、飯塚さんも私も候補からすっかり外れているのだけれど。
でもそれを二人に言うことは出来ない。

私は二人の優しさに感謝するのだった。




──お昼をいつものように三浦さんと済ませて廊下を歩いていた時、ちょうど副社長室から徹さんが出て来た。私はうつむき加減で挨拶をする振りをして、彼の横を通り過ぎようともくろんでいた。ところが、


「進藤、この会議資料なんだが何点か変更をしたい。詳しくは俺の部屋で...」


私は初めて徹さんが話すのを遮った。


「ここでは駄目ですか?もし変更箇所が確定しているのであれば、ここでおうかがいしたほうが時間の無駄になりません。何より時間の無駄を嫌うのは副社長ですから」

「...ああ、それもそうだな」

「進藤さんっ!あなたちょっとそれは失礼よ。いくらなんでも立ち話なんて。お部屋へおうかがいしなさい」

「いや、いいんだ。ではこのまま俺が秘書室へ行こう」


三浦さんは不満気だったけれど、結局秘書室で変更内容を聞くことになった。

二人きりになりたくなかった私は、ほっと胸をなで下ろしたのだった。だって絶対泣いちゃうもの。彼を罵り、恨み節を吐き出すかも知れない。

それはいがちゃんへの敗北宣言に他ならない。そんなことをしたら、返って自分がみじめになるだけ。だって徹さんは結局いがちゃんの元へ帰るだけだから。


私、どれだけバカなんだろう。
別れようって思いながら言い出せない。

何かが心に引っかかっているから。

気持ちは常に矛盾してる。それが私を余計に苦しめる。

きっぱり別れを告げたらどれだけ楽かと思う。けれど、やっぱり好きだから言い出せない。それは無限ループしている。

答えの無い迷路の深みへと私は沈んでいくようだった。
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