誘拐日和
「いけないとは言ってないよ。僕だってマトモじゃないしね。だけどあの男の隣にいても、君は幸せにはなれないよ。あの男は、君のすべてを愛せない」
「それは……っ」
言い返せなかったのは、ヒソカの言葉が的を射ていたからだ。
本当は、ヒソカに言われなくたって分かっている。律に心から愛されたい、愛されたくて堪らない。だけど律には、本当の私を見せられない。だって見せてしまったら、きっと律は私から離れてしまう。あの人みたいに、私をオカシイと言うに決まっている。
「僕なら唯の醜さも脆さも受け入れて、丸ごと君を愛してあげるよ」
私の耳許に唇を寄せ、ヒソカは笑みを深めて囁いた。耳から肺腑へ、身体中が甘い毒に侵される。
「君を心から愛しているのは誰なのか、ゆっくりと答えを出せば良い」
私の髪に口づけを落として、ヒソカは部屋を出ていった。重厚な扉が閉まり、部屋に再び静寂が落ちる。
混乱と恐怖と、甘やかな媚薬。ぐちゃぐちゃとした気持ちの悪い感情が胸を占める。いっそ何もかも忘れて眠ってしまおうときつく瞼を伏せても、ヒソカの最後の笑みが頭にこびりついて離れなかった。