淡雪
 それに黒坂は小槌屋に雇われている。
 小槌屋からすれば、腕の立つ用心棒を、ただで雇えるというわけだ。

「そうだな。……心から嬉しい、とは思えないけどな」

 奈緒が音羽を傷付けたお陰で、念願の身請けが可能になった。
 だがそのせいで、奈緒は許嫁に斬られたのだ。

「気に病むことはありませぬ。あの者は狂っておりました故。音羽だけでなく、会所連中、さらにお父上まで斬り付ければ、死罪は免れませぬ。同じことですよ」

 素っ気なく言い、女将は用意していた紙を取り出した。
 それを金と引き換えに、黒坂に渡す。

 音羽の借用書だ。
 これで音羽は黒坂のものとなる。

「花魁として身請けされ、華々しく見世を去るのが幸せとも限りませんね」

 ぱんぱん、と手を叩くと、襖が開いて音羽が姿を現した。
 以前とは打って変わり、質素な着物に風呂敷包みを一つ抱えている。

「おかあさん、お世話になりました」

 三つ指ついて、音羽は頭を下げる。
 ふぅ、と大きく息をつくと、女将はまた、かつん、と煙管の雁首を煙草盆に打ち付けた。

「あんたは幸せもんだよ。あの娘さんに感謝するんだね」

 女将が言うと、音羽は少し微妙な表情で顔を上げた。
 美しかったその顔には、下唇から首筋にかけて、赤黒い傷が走っている。

「揚羽のこと、よろしくお願いいたします」

 再度頭を下げ、音羽は黒坂に伴われて招き屋を後にした。
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