淡雪
「小槌屋が俺を使うのは、あくまで威嚇のためさ。旦那もあんたの家のことを考えて、あんまり無茶な取り立てはしないようにしてる。まぁ今回のような、新たな借金の申し込みは難しいだろうがな」

「そうなんですね。でも難しいところです。父が出世しないと、今の借金も返せないですし」

「まぁ……城勤めにゃ、いろいろあるからなぁ」

 曖昧に、黒坂が笑う。
 ということは、彼は城勤めの経験があるということだ。

「もしかして、そういう付き合いが嫌になったクチですか?」

「いや、元々俺は出世欲なんざなかったしな。養わないといかん家族もいない。国を出るのも身軽なもんさ」

 独身なんだ、とわかり、奈緒はほっとした。
 その気持ちに、また慌てる。

「しかし困ったな。そうなると、またあんたのところに出張らにゃならん。少々でも都合できねぇかい?」

「そうですねぇ……」

 ここ最近借金が莫大になったのは、奈緒の嫁入りのためだ。
 相手が上役である以上、みすぼらしい婚礼をするわけにはいかない。
 それなりに立派な嫁入り道具を仕立てていくべきだ、と何から何まで新調した。
 大事に育てた一人娘の婚礼ということも、大いにあるのだろうが。

「桐箪笥や鏡台などを売れば、何とかなるかもしれません」

「桐箪笥に鏡台?」

 少し、黒坂が訝しげな顔をした。

「あ、いえ、何でも。ちょっと考えてみますね」

 慌てて誤魔化し、奈緒は顔の前でぶんぶんと手を振った。
 何となく、黒坂に己の婚礼のことは言いたくない。

「……親の借金で、あんまり思い詰めんなよ」

 俺が言うことじゃねぇけど、と小さく言い、黒坂は、ぽんと奈緒の頭に手を置いた。
 そのまま立ち去ろうとする。

「あ、あのっ!」

 思わず呼び止めた奈緒に、黒坂の足が止まる。

「ここに来れば、また会えますか?」

 黒坂の目が見開かれる。
 言ってしまってから、奈緒は俯いた。
 頬が熱い。
 きっと真っ赤になっている。

「……多分な」

 しばしの沈黙の後、ぽつりと低い声が聞こえた。
 ざっと風が吹き、そろそろと奈緒が顔を上げたときには、黒坂の姿は境内から消えていた。
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