淡雪
 小槌屋は当てにならない。
 奈緒は何かに突き動かされるように歩いていた。

 目指すは花街の大門だ。
 暖かくなってきたので、前よりは張り込みも辛くないだろう。

 自分で音羽を諦めさせないといけない。
 そのためには、もう一度音羽に会わねば。

 自身が借金の形に取られることが現実味を帯びてきてから、まるで自分が自分の意思で動いていないような、不思議な感じだ。
 黒坂が絡むと、心が黒く支配され、自分でない何かに突き動かされる。
 強い何かが身体の奥から湧き上がるのだ。

 今もまさにそんな状態で、奈緒は大門への道を足早に進んでいた。
 そんな奈緒の前に、す、と人影が現れる。
 驚いて顔を上げれば、そこには良太郎が立っていた。

「りょ、良太郎様」

「奈緒殿、最近どうなさったのです」

 思い詰めたような目で言われ、奈緒の心の染みが小さくなっていく。
 同時に奈緒は、辺りを見回した。
 遠くに大門が見える。

「連日のように出かけられているかと思えば、稽古場には来てないという。薫殿にお聞きしたのですが、奈緒殿、花街にいらしているようですね?」

「あ……。前に梅を見に来たんですけど、次は桜だと思って。花街の花は見事だって聞きますし、すっかり嵌ってしまって」

「お稽古をさぼってまでですか」

 少し、良太郎の目が冷ややかになる。
 う、と口ごもったが、奈緒はすぐに、開き直ったように、つんと上を向いた。

「そりゃ、お稽古にも身は入らなくなって当然でしょう。わたくし、どこの誰ともわからない浪人に嫁がされるのですから」

 奈緒が言うと、今度は良太郎が口ごもった。

「……それについては、力及ばず誠に申し訳ない」

「こんなことなら、出世など望まず今まで通り地味に暮らしておけばよかった」

「しかし結果は同じだったようにも思います。出世しなければ借金も返せない。借金を返せなければ、いずれは対談方が来たでしょう。悪くしたら、また別の札差から金を借りることになったかもしれません」

 ふぅ、と息をつき、良太郎は歩き出した。
 奈緒も、何となく彼の後をついていく。
 先ほどまでの、怖いぐらいの強い気持ちは鳴りを潜めている。

 奈緒は、ぎゅっと自分の身体を抱きしめた。
 黒坂のことになると、自分が自分でなくなるようで恐ろしい。
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