淡雪
 日が落ちる頃に、黒坂は小槌屋に帰った。
 黒坂は普段、小槌屋の離れに寝起きしている。

「今日も稲荷詣でですかな」

 不意に声がし、母屋のほうから金吾が歩いてくる。

「高保様のところは、残念ながら回収は無理のようですなぁ」

「俺の出番か?」

 離れに入りながら黒坂が言うと、小槌屋は軽く頷いた。

「そうですねぇ。でも今回は担保がありますし。担保を回収して貰うことになりましょう」

「担保……」

「奈緒様ですよ」

 黒坂が足を止めて振り向いた。

「本気なのか?」

「ええ。黒坂様にもいい話でしょう? 奈緒様は小町娘と言われるほどの器量よしです。許嫁も追い払いましたし、問題ございません」

「問題ないわけないだろう。そんな女衒のような真似っ」

「人聞きの悪い。奈緒様とて、さほど嫌そうではありませぬ。苦界に沈められるよりは、大分いいと思いますが」

 軽く言い、小槌屋は、ひょいと黒坂を追い越して離れに入る。
 座敷に腰を落ち着けると、持ってきた酒を黒坂に勧めた。

「許嫁を追い払ったって?」

「ちゃんと合法的に、ですよ。許嫁の伊田様のご子息が、借金を申し込んでこられましてね。ふふ、涙ぐましいですなぁ。高保様の昇進が危ういので、さらに袖の下を必要とされたようです。ご子息のほうは、そういったことには抵抗を感じているようですが、背に腹は代えられませぬ。愛する奈緒様を守るため、自らが追加の金を用意したのです」

「それを受ける代わりに、奈緒から身を引かせたのか」

「ああいう一本気なお人は、許嫁を奪われるとどうなるか心配ですからな。まぁ奈緒様のために必死で借金を返してくれてもよし。大人しく身を引いてくれてもよし」

 ふぅ、とため息をつき、黒坂は杯を干した。
 その気乗りのない態度に、小槌屋は目を細める。

「花魁とも、そろそろ潮時じゃないですかね。花魁だって、身請けを受けられないのは黒坂様の存在があるせいだ。すっぱり別れたほうが、お互いのためだと思いますがね」

「……」

「ま、今すぐどうこうということにはならないでしょう。しかし、あのお嬢様の様子、ちょいと気がかりですなぁ」

 あくまで軽く言い、小槌屋も杯を干した。
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