花の名前

3

「うっ、ん、ん、ん―――!!」

 容赦なくねじ込まれた舌に、涙目になる。だから歯磨き~!!!
 必死で首を振って唇を外すのに、そのまま首筋に吸い付かれて、背筋が震えた。戸惑い、おののく耳へ、カズが低い声で囁く。
「好きだって、言ったよね?」
 言うなり、シャツの裾から入り込んだ手の平で、裸の胸を掴まれた。
「っ、あ…!」
 ぐいっと強く円を描くように揉まれて、思わず上げた声に自分で驚いた。カズの手の平が膨らみを形作るように掬い上げ、すでに硬くなった先端を摘まみながら、揉み拉かれると、そこからなんともいえない感覚が生まれて、息が上がる。
 何でこんな…と頭は混乱しているのに、吐き出す息は自分のものとは思えないほど甘く、それが酷く恥ずかしくて身を捩った。

「トーコさんが悪いよ。」
 ちゃんと元気になるまで待つつもりだったのに…なんて、耳朶を口に含んだまま言わないで欲しい。それで無くても続けられたままの胸への刺激で、頭がおかしくなりそうなのに、拒むことも出来ないまま、再び唇を割り開くように深く口付けられた。
 絡みつく舌で口内の至る所を舐められ、何度も吸われる内に、頭がボウッとして、息をする毎に泣きたいような切なさが胸の奥から沸き起こる。
 唇から零れ落ちそうな程に舌底へ溜まった、どちらのものともわからない唾液を飲み込んだ時、不意に記憶が蘇った。


 ―――美味しい?

 聞かれて、たぶん、頷いた。
 もっと、欲しい。
 するとカズは、まだ熱があるみたいにちょっと潤んだ瞳を細めて、仰向いてペットボトルの中身を口に含んだ。その剥き出しになった首筋が、とても綺麗で。
 再び塞がれた唇を開き、冷たい液体を飲み干した後で差し込まれた舌先が、ほんのりと甘くて―――

 間近にある綺麗な顔を見つめていると、気付いたカズが唇を離して覗き込んでくる。やっぱりまだ熱があるみたいだ…とボンヤリとしていると、こく…と、カズが息を飲んだ。
「そんな顔…」
 と呟いた声が耳に届くのと、カズの手の平が腹部を滑り、腿の内側に差し込まれるのが同時だった。
「やっ―――」
 体を丸め、膝を合わせるようにしながら腰を引くのに、カズはがっしりと腰を掴んだまま、上半身でのし掛かるように押さえ込む。
 内腿をするりと撫でられ、ビクッと仰け反ると、意図せず差し出すような形に成った胸先を、シャツの上からパクリと、口に(!)含まれ、今度こそハッキリと悲鳴を上げた。
「カズッ、いやっ!」
 布越しに感じる温かな感触。

 ―――舐めてる?!

 もう動揺なんて生易しいものじゃない。
 パニック状態でカズの頭を押し退け、激しく身を捩ると、あっ、と思った次の瞬間、カズの膝から滑り落ちていた。

 ドサッ―――ゴッ!

 痛い―――肘を打った。でも気にせず起き上がる。
 立ち上がって、走ろうとした、瞬間―――

「―――トーコさん!」

 何処か遠くにその声を聞きながら。
 糸を引くように、すう―――と、意識が暗転した。

  

 目を覚ますと、病院だった。

 泡を食ったカズに、美幸さんの所へ運び込まれたらしい。
 そして、シャツとショーツだけというあられもない恰好で毛布にくるまれた私を見るなり、部屋の温度を五度下げた美幸さんによってカズ限定の面会謝絶で入院となり、点滴と睡眠で体力を取り戻した後、シャワーで全身スッキリした上で退院する事になったのだった。



 病室に迎えに来て、カズは聞いた。

「一緒に帰る? 実家に行く?」

 一瞬黙り込んで、薄らと微笑んだ顔を見つめる。
 胡散臭い。
 でも、これがカズなんだよね…と思ってため息をついた。本心を見せるのを良しとしないのだ、たぶん。

「…反省してくれてるなら、帰るよ。」
「反省って、何を?」
 そうきたか…ちょっと忌々しい気分で目を眇めると、カズが困ったように微笑んで肩を竦めた。
「反省はしないよ。俺はトーコさん好きだから、キスしたいしセッ―――」
「わかった、もういい。」
「何が?」
「え?」
 恥ずかしくて思わず言ったのだけど、思わぬ返しにキョトンとしてしまう。その様子を見たカズがまた肩を竦めた。
「わかってないよね? 俺を受け入れてくれる気が無いなら、実家に戻った方がいいよ。」
 あっさりとした言い方に、なんだかカチンとした。いきなり二択とはこれいかに。
「あたしの家でもあるのに、カズに決められる筋合いはないよ。大体、いきなり決められるような事じゃないでしょ?」
「いきなり、ね。」
 え、違うの?
 視線を伏せて笑うカズに、気になっていた事を聞いてみようと、意を決する。どのみちうやむやにしたままでは、あの家には帰れないだろうし。
「カズは…、ええと、なんで…」
 あたしが好きなの?とは流石に聞けなかった―――恥ずかしすぎて。ダメだ、ホントに免疫無い。
「…同居しようと思ったの?」
「さぁ、なんでかな?」
 首を傾げる様がひどく可愛らしく見えるのは何でだろう…。
 ていうか、何で疑問系なのよ。
「正直、断られるかなと思ったんだけどね。」
 それならそれでも良かったんだけど、と言って、何処か遠くに視線を向ける。
「トーコさんは変わってるよね。引っ越してくる時も、着替えとノートパソコンと、家具を少しだけ。」
 厳密に言うと、衣装ケース3個とベッドとローテーブルだ。本なんかは今読む余裕も無いし、そもそも読み終わったら二度と読まない事が多いから、直ぐに捨てるか売っていた。
 化粧品類もそんなに無いし、アクセサリーも着けてない―――女らしくないって事だよね、つまり。でもそんなの今さらだと思うんだけど。ますます訳がわからない。

「それで、どうして好きって…」
「どうしてだろうね?」
「…」
 だから何で疑問系なのよ。カズは相変わらず笑顔を貼り付けたままだ。何だか腹が立ってきた。
「わからないのに、あんな事をした訳?」
「あんな事って?」
 ダメだ、これ―――思わず額に手を当てると、カズがクス…と笑った。
「理由をつけないとダメなの?」
 そう言うと、腕を伸ばして、頰に手を当ててくる。
 途端に心臓がドクドクと音を立て始めるのを、気付かれないよう、頰の筋肉に力を入れた。なのに、カズは遠慮無く親指を滑らせて頰を撫で、唇に触れる。
 咄嗟に退かそうとした手を取られて、そのまま抱き寄せたカズが、耳元で低く笑った。
「そんなに無防備で、よく今まで無事だったよね。」
 言いながら、耳朶にキスをしてくる。それだけでゾクゾクと背中に震えが走った。

「遠恋に悩んでた先輩だったっけ?」
 何だか楽しそうにカズが続ける。なかなか彼女と続かないゼミ仲間に、いい人止まりの後輩君―――思わずゴクリと息を飲んだ。確かに話したかもしれない、けど。まさか全部覚えてるとは…。
「ご機嫌な顔でにこにこしながら、頭なでなでしたんでしょ?俺にしたみたいに―――」
 そう言って覗き込んだ顔が少し怒ってるように見えて、微かに身を引くと、カズが口を歪めて微笑む。

「キスして直ぐ、後悔しただろうね、みんな。トーコさん、何でって聞くから。」

 思わず目を見開いた。それは、つまり…?
 問いかけるように顔を上げる。
「カズも…、後悔、した?」
「したよ。」
 事も無げに言われて息が詰まった。何て言うか、―――ショックだった。自分でもビックリするほど。だったら、何で…?

「直ぐしまったと思ったよ。トーコさん、呆然としてる顔も可愛いかったから、そのまま部屋に連れて行こうかと思ったぐらい。でも、トーコさんの“信頼”を裏切るのが怖かったから…」

 そう言って、視線を落としたカズが泣きそうに見える。
「なのに、あの時、“彼”の話をしてる時の、トーコさんの顔を見てたら、何だか、腹が立って。」
 正直そう言われても、どんな顔だったか、自分ではわからなくて困る。カズが口許だけで笑った。
「愛おしげ―――とでも言うのかな…。少なくとも、それまでのヤツらとは違うって事だけはわかった。」
 何だかまた人聞きの悪いこと言われてると思ったけど、口にはしなかった。付き合ってはいなかったけど、キスしたのは確かだから。
 でも、何か、納得いかないのは何でだろう…自分がスゴい悪女みたいになった気分なのは…。

「トーコさんは変わってる。他に言いようがないけど、変わった人だと思う。」
 断言ですか…ホントにわたしの事が好きなの?
 気持ち落ち込んでいると、カズが視線を落としたまま、自嘲気味に微笑んだ。

「誰も彼もおおらかに受け止めるくせに、受け入れないんだ。だから、気にしない―――キスされても。受け流して、何も残さない。」

 そう言って、カズが視線を上げた。
「でも、ソイツだけは違う。間違いなく、トーコさんの中に居座ってる。」
 瞳を細めたカズから強烈な“何か”が立ち上り、その迫力に押されて思わず離れようとした腕を取られて、強く抱き竦められた。

「悔しかった。だから、キスして、止められなくなった…。」
 くぐもった声に、きゅう…と胸が締め付けられる。息が苦しくて、思わず喘いだ。
 カズの手の平が背中を撫でるように降りて、腰を引き寄せられると、体に震えが走る。
 恐怖では無かった。その事に逆に戸惑う。
 とにかく落ち着いて―――息を整えようと大きく深呼吸をした瞬間、口を塞がれた。
「んんんっっ!!」
 抗議するように胸を叩くと、カズは意外に直ぐ口を離した。
「ダメだよトーコさん、そうやって直ぐ理性を取り戻そうとするんだから。」
「何言っ―――ん、うっっ」
 今度は容赦なく舌を差し込まれる。ぐるりと絡め捕った舌を強く吸われて、息が止まる。向きを変えてさらに口づけを深めながら、カズの手の平がお尻を撫でる。
 ビクッと体が跳ねた。
 ―――おかしい。何だろう、この感覚は。
 優しく撫で上げられる度にそこでは無い場所がムズムズして、無意識に腿を擦り合わせた。

「―――どうする?」
 ゆっくりと唇を離して、カズが聞いた。

「“家”に帰る?」
 唇を閉じることも出来ないままで、ボンヤリと綺麗な顔を見上げて思った。

 ホント、ずるい男だ―――。
< 21 / 46 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop