花の名前

6

 手を突いて体を起こし、思案気に見つめるだけで動かないカズに、微かな苛立ちを覚えた。

「―――脱いで。」
 割と冷たく言えたと思う。とにかく怒ってるのだという事だけは主張したい。
 だっておかしくない?
 勝手に不機嫌になって、勝手に部屋に連れ込んで、裸に剥いて、なのに自分は服も脱いで無いなんて。

「脱いで、そこに寝て。」
「…俺が?」
「他に誰がいるのよ。」
「―――下も?」
 不覚にも一瞬間が開いた。
「…当たり前でしょ。」
 言うが早いか、カズが徐にセーターを脱ぎ捨てた。Vネックのそれは薄手のコットンで、体の線を出さない程度のゆとりがあるから傍目にはわからないけど、かなり引き締まった体をしている。
 元々弟がいることもあり、大学の時、夏場暑いと言っては上半身裸でうろつく男子生徒を見ても、全くと言っていいほど動揺はしなかったのに、一瞬、きゅっと胸が撓って、思わず視線を逸らした。その後も続いた衣擦れの音を聞いていると、落ち着かない気持ちになる。
 平常心、平常心だ―――と、目を閉じて大きく息を吸い込んだ所で、ぐいっと腕を取られて体が傾ぐ。そのまま、カズの胸の上に乗せられ、腰を引き寄せられたかと思うと、膝で腿を割られて足を広げられる。無防備になった場所に、すうっと冷たい空気を感じてギョッとした。
 慌ててカズの胸に手を突いて体を起こすのと、何か固い感触を敏感に感じ取るのが同時で、さらに自分がカズのお腹の上に馬乗りになっている事に気付くと、止めようも無くかあっと顔が熱くなった。

「―――で、次は?」
 まだ腰に手を添えたままで、カズが微笑む。
 こんな状態なのに、なんでそんなに爽やかなのよ?しかもなんか撫でてるし!―――途端に忌々しい気持ちになって、カズの両の頬をぐいっと抓り上げた。
 そのまま引っ張り、たてたてよこよこまーるかいてちょん!
 ―――最後のちょん、は思いっきり引っ張って離した。ゴムだったらスゴい勢いでぱっちんするぐらい強く。
 呆然というのがピッタリの顔で目を見開いているカズがおかしくて、ふふっと笑いが零れた。でも、まだまだ。
 薄らと微笑んだまま、今度は胸に手を突いて、ゆっくりと唇を寄せていく。
 瞳を細めながら、大きく、口を開けて―――ぱくり。…鼻に噛みついた。

「―――!!」
 さすがにカズの体が強張ったけど、構わずちょっと強めに歯を立てる。そのまま、いち、に―――と十数えてから、離すついでにペロッと鼻先を舐めてやった。
 微かに身動いだカズの顔を見て、してやったりと微笑む。
 鳩が豆鉄砲食らったようなって、こんな顔に違いない。いくら経験豊富でも、鼻を囓る女なんて、きっと初めてだろう。
 誰が思い通りになんて、なってやるもんか。
 良い気分で、首を傾けながら鼻先を覗き込み、クスッと笑った。
「歯形ついたね」
 いい気味だ。満足して体を起こした。
「これに懲りたら、勝手な―――」
 事しないで、と言うつもりだった唇は、追いかけるように腹筋だけで起き上がったカズに、逃げる間もなく塞がれた。
 ペロリと唇を舐められて、背筋が震える。
 カズが唇を離して顔を覗き込んだ。
「そんな顔してたら、襲われるよ?」
 言いながら、親指で唇をなぞる。
 いつもなら、誰が?と聞くとこだけど、その代わりに唇を開いてカズの指を舐めたのは、カズが“いつもみたいに“笑ってなかったからだ。
「“そんな顔“して、何言ってんの?」
 言い返してやると、カズが一瞬目を見開いた。
 でも直ぐに目を細めて、苦しそうに顔を歪める。
 こんな綺麗な顔なのに―――思わずその頰に手を添えて、唇を突き出すようにカズの唇に押し当てた。
 たったそれだけの事なのに、お尻で下向きに押さえ込むようになっているものが、硬さを増して押し返してくる。さすがにちょっと顔が火照った。

「…痛くないの?」
 思わずお尻を浮かせると、カズが微かに笑った。
「それ程でもないけど、このままだと、トーコさんの方が痛い思いをする事になるかも。」
 心臓がどく、と脈打つ。それがどういう意味なのかぐらいわかるから。
「…痛い、のかな?」
「…たぶん、ね。」
 カズが深く、ため息をついた。
「服、着よう。さすがに辛い…」
 今さら?と、言いかけて、やっと気が付いた。
 それで自分は脱がなかったんだろうか?
 トクン…と、心臓が音を立てる。
 自分が、何に腹を立てたのか、今、自分で気が付いて。
「“これ“、どうするの?」
「…何とでもなるよ。」
 と言う顔はやっぱり笑ってなかったから、なんだか胸が熱くなって、もう一度唇を寄せた。
 チュッ、と音がして、自分でも驚いたけど、カズはもっと驚いて、それから目を細めて唸るように言った。
「トーコさん…」
 そこは喜ぶとこじゃないの?と言う代わりに、首を傾げて笑った。
 嬉しい。
 だって、今ここにいるカズは、いつもみたいな胡散臭い笑顔じゃない。
 カズがもう一度ため息をついた。

「後悔するよ?」
 その言葉に、真っ直ぐ見つめ返して、言った。

「させないで。」


 カズが微かに目を見開いて、それからまた瞳を細める。
 今度は怒った顔じゃなかった。
 ゆっくりと近付いてきた唇を、そっと開いた唇で受け止める。

 差し込まれた舌先に、自分の舌を差し出しながら、カズの首筋に腕を回した。
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