たった一つの勘違いなら。

「富樫くん、どうした? トラブル?」

法務部長も驚いてこちらに来てしまった。

「いえ、うちの課内の話なんです。お騒がせしてすみません」

あ、モードを切り替えた。女性への王子様対応ともまた違う外向きの仕事の顔。

「行くぞ」

言うなりもう歩き出すのを、慌てて西山さんが追いかけていった。

見送ってから振り向くと、テーブルの隅に残されたスマホがある。西山さんのものだろう。

「忘れ物みたいなので届けて来ます」

「追いつくかな」

部長に言われて小走りにエレベーターホールにたどり着くが、既にいない。

階段で行こうと非常階段へ続く重たいドアを押しあけた瞬間、しまった、と思った。

「カズくん?いつから俺に意見できるほど偉くなった?」

怒ってるのかからかってるのかわからない、あの独特の声色。久しぶりに聞いた、カズくんへの声。

勢いがついていて、そのまま閉めることができなかった。少し下がった階段の踊り場で、壁際のカズくんの左肩を押さえた真吾さんがいる。




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