今宵は遣らずの雨
「御前様……かような処でなにをしておられるか。奥方様のお産は如何がなされた」
初音は御付きの供も伴わず、いきなり姿を現した兵部少輔に心底驚いた。
如何にもふらりとやってきた風情で、着流し姿の大小二本差しに、雨のせいで地面がぬかるんでいるのであろう、雪駄ではなく下駄を履いていた。
いくら安芸広島新田藩の御屋敷が、初音の住む仕舞家の通りを挟んだすぐそこにあるとはいえ、あまりにも無防備だ。
「奥方様は、初めてのお産ではございませぬか。
……お側についてあげてくだされ」
初音は懇願した。
「……初音」
兵部少輔は苦々しげに顔を歪ませた。
「そんな呼び方はするな。
おれのことは、昔のように鍋二郎と呼べ」
吐き捨てるような物云いだった。