軍人皇帝の幼妻育成~貴方色に染められて~
「シーラ様!」
側頭部に鈍い痛みを受け、シーラは何が起こったのかも分からないまま床に倒れ込んだ。ボドワンの叫ぶ声とクーシーの吠える声が、ジンジンと頭の中に響く。
痛みに瞑っていた瞼を開いたとき、瞳に映ったのは凄惨な光景だった。
割れたオイルランタンからカーペットに燃え移った火が、不気味にクラーラを照らしている。彼女の顔に浮かんでいるのは感動や回顧の念ではなく、憎しみと恐怖に囚われたおぞましい表情だ。
「ああ、悪魔……! 夫と息子を屠っただけでは飽き足らず、とうとう私を殺しにきたのね! 恐ろしい、憎らしい子……! 悪魔の子!」
その呪詛のような言葉が自分に向けられているのだと、シーラはしばらく理解できなかった。頭から流れる血の生ぬるい感触も、炎に照らされゆらめく影に縁どられた母の顔も、皆夢の中の出来事のように思える。
「私を殺してこの国を滅ぼしにきたのだろうけどそうはさせないわ、悪魔め……! 今ここでお前の首を落としてやる!」
クラーラは臆す様子も見せず火の中からランタンの欠片を拾い握りしめると、今度はそれをシーラに向かって振り下ろした。
「危ない!」
その瞬間、ボドワンが身を呈してシーラを庇い、クーシーがクラーラに向かって飛び掛かった。おかげでシーラは間一髪助かり、再び床に倒れ込んだ衝撃で呆然としていた思考がはっきりと甦る。
「お母様、どうして!?」
よろめきながら立ち上がり、シーラは叫ぶ。
ようやく母の胸に飛び込めると思ったのに、なぜこんな悪夢のような展開になってしまったのか。
しかしクラーラは狂ったように「悪魔め、殺してやる!」と繰り返すばかりで、手を血まみれにしながら握った硝子の欠片を振り回す。
「シーラ様、ここは危ない! 逃げましょう!」
絨毯に燃え移った火はどんどん広がり、ベッドのシーツやカーテンにも赤い舌を伸ばし始めている。クラーラはクーシーが押さえてはいるが、その殺意が収まる様子はない。
ここにこのままいるのは危険だと判断したボドワンは、動こうとしないシーラの腕を無理やり引き、部屋の外へと逃げ出した。クラーラを離したクーシーもすぐに後を追う。
すでに廊下には騒ぎを聞きつけた侍従らが出てきていた。
部屋から飛び出してきたシーラ達を見つけ驚きに固まっていたが、ボドワンが「部屋が火事だ! 急いで消火活動を!」と叫ぶと、侍従や召使らはすぐに我に返り寝室へと駆けていった。