軍人皇帝の幼妻育成~貴方色に染められて~
「クーシー!」
やはりクーシーも森に懐かしさを覚えていたのだろうか。それとも狩猟犬の本能で、向こうに獲物がいることを悟ったのだろうか。ひとりでさっさと柵の向こうに行ってしまったクーシーの名を何度も呼ぶが、戻ってくる気配がない。
「どうしよう……」
シーラは焦った。もしも獲物を追いかけることに夢中になってクーシーが迷子になってしまったら、野犬に遭遇して傷を負わされてしまったら――、考えれば考えるほど不安が募っていく。
しかも、今日は曇り空だ。もし雨が降ったなら匂いが消えてしまって、クーシーは戻れなくなるかもしれない。
ためらっている暇はない。シーラは覚悟を決めると身を伏せて、柵の根元に出来た小さな穴に、身を捩りながら無理やり潜った。
「……わあ……大きい……」
穴を抜けた先には、クヌギにコナラ、ニレの樹などの高木が立ち並び、森独特の鬱蒼とした影を落としていた。
やはりこぢんまりとした果樹園とは違う。見上げるほど大きな樹に囲まれた世界はどこか荘厳な雰囲気が感じられて、シーラは懐かしい落ち着きを感じた。
「懐かしい、この匂い」
宮殿の庭園とわずかしか離れていないのに、空気までもが清涼に感じられる。
胸いっぱいに深呼吸をしてから、シーラは辺りを見回した。
「クーシー、どこなの!」
しかし、クーシーの姿は見えないどころか気配もしない。
シーラは柵の方角を見失わないようにして、森の奥へとゆっくり足を進めていった。