軍人皇帝の幼妻育成~貴方色に染められて~
 
***

嫌な予感がして空を見上げたら、頬に雨の雫がポツリと当たったのは、森へ入って一時間が過ぎた頃だった。

シーラの焦燥感が一気に募る。このままではクーシーは匂いを辿って戻れなくなってしまうし、雨に濡れて凍えてしまう。

「クーシー、どこなの! 戻ってきて!」

声の限り叫ぶけれど、反応はない。シーラは不安で泣きたくなってしまった。

教会にいた頃もクーシーはひとりで狩りに行くことがあったけれど、シーラが呼べば必ず戻ってきた。こんなに長く戻ってこなかったのは初めてだ。

やっぱり、慣れない森のせいで迷ってしまったのだろうか。自分が未練がましく柵沿いを散歩なんかしなければ、クーシーは森に入ったりなんかしなかったのに。シーラの心に後悔と罪悪感がグルグルと渦巻き、涙で景色が霞んでくる。

「クーシー……」

シーラの涙と呼応するように、曇天は雨の粒を本格的に落とし始めた。シーラは肩に掛けていたショールを頭からかぶると、冷えてきた空気に肩を震わせながら歩き始めた。

(どうしよう、もう戻らなくちゃ宮殿のみんなが心配する……。でも、クーシーを放って帰れない……)

雨はどんどんと強くなってくる。靴もドレスもずぶ濡れになって、シーラは自分の身体が冷えきっていくのを感じた。

これ以上雨に濡れて体温を下げるのは危ない。いったん雨宿りしようとシーラが大きなブナの樹洞に身を寄せたときだった。雨音に紛れてかすかに犬の鳴く声が聞こえた気がした。

「クーシー!?」

シーラは身を翻して声のした方に駆けていく。すると、かぼそく鳴くクーシーの声が確かに聞こえた。

脚が泥まみれになるのも構わず走った先には、ずぶ濡れになってうずくまっているクーシーの姿があった。シーラは心臓が止まりそうになりながら、大きな黒い身体にすがりつく。

「クーシー! どうしたの!? しっかりして!」

クーシーは傷だらけだった。身体のあちこちから血が流れ、水たまりに赤い雫を滲ませている。

野犬にやられたのだろうか。クーシーは賢い子なのに、どうして勝手に森に入ったあげく喧嘩なんかしたのか。シーラが怪訝に思って眉根を寄せたときだった。

クーシーがか細く鳴いて、伏せていた身体を少しだけ持ち上げた。そこにあったものを見て、シーラは目をしばたかせ、泣き笑いを浮かべてクーシーを抱きしめる。

「ありがとう、クーシー。私が喜ぶと思ったのね、ありがとう……」
 
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