君の日々に、そっと触れたい。


「桜」


不意に、李紅がふらふらと上半身を起こし、私に向き直った。



「桜は、逃げてもいいんだよ」







「…………へ?」


言っている意味が分からなくて、小さく間の抜けた声で尋ね返す。



「俺は、逃げられない。俺が死ぬのはもう決まってることだから。でも桜は、ここから逃げてもいいんだよ」



…………どうゆうこと?

李紅が何を言いたいのか分からない。


…………分かりたくない。



「最期まで傍に居てって………李紅が言ったんじゃない…………」


「…………うん」


「俺にあんたの1年くれよ、ってそう言ったの………李紅だよね?!」


「……うん、言った」


「だったらなんで……?!」



思わず声を荒らげた。



意味がわからない。

どうして今、そんな事言うの。


私に李紅から…離れろって言うの…?



「なに……?あ、倒れたから弱気になってるの?やだ、李紅らしくもない」


「…違うよ」


「じゃあなに、もう家に帰れないって、まだ気が動転してるの?」


「俺は正気だよ!」


今度は李紅が掠れた声を荒らげて、きゅっとシーツを強く握った。


「桜、傍に居てほしいって言ったのは忘れてないし、今でも気持ちは変わらない。桜の気持ちには答えらないのに、それでもいいって言ってくれたのは………ほんとうに嬉しかったんだ」

「……なら何が問題なの?」

私も嬉しかった。

李紅が私の気持ちを、受け止めてくれたから。

恋人にはなれない私たちだけど、恋人なんて簡単な言葉じゃ表せないほどの距離と繋がりをもってる。そう思ってたのは、私だけなの?


「桜…ねぇ……桜は」


李紅は僅かに顔を顰め、片手で頭を覆って俯く。大きな声を出し合ったから、頭痛が酷くなったのかもしれない。

よく見たら顔色も酷い。無理にご飯を勧めてしまったし、気分が悪いのかもしれない。

今にも倒れそうな様子に、思わず横になるように促すけれど、李紅は俯いたまま首を小さく横に振る。



「………桜は、怖くないの?」



声が、震えていた。

何が、なんて、聞くまでもない。



「………怖くないよ」


見え透いた嘘をついた。

だけど、私に怖がって欲しくないと、李紅が望むなら。怖くないと、何度でも言うつもりだ。



「……俺は怖いよ、桜」



確かめるように名前を呼んで、らしくもない震える声で続けた。





「………俺は桜と居ると、死ぬのが怖い」




別に桜のせいじゃないけど、と李紅はまた自嘲して唇の端で笑う。


その表情は、なんだか見覚えがある。



『………不確かで、酷く脆い明日に怯えて生きることが、怖いんだ』



それはあの時。あの海で、初めて李紅と出会った時だ。

生きるのが怖いと言った私に、李紅は自分もだと言ったんだ。


生きるのが怖いのは、死ぬのが怖いからだと李紅は言ったんだ。




……………ああなんか、分かった気がする。

私は李紅が、分かった気がする。



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