ふつつかな嫁ですが、富豪社長に溺愛されています
ここは上空八百メートルほどで、私は良樹所有のパイロット付きヘリコプターに乗せられている。


社屋を飛び出し、車に乗せられ、着いた場所は最寄りのヘリポートだった。

蕎麦屋は都内にいくらでもあるというのに、「蕎麦と言えば信州だよな」と言われて、長野にある有名店に向かっているのだ。


急いでいる理由はやはり、本場まで行こうとしているためかと納得する私には、少しの驚きもない。

プライベートジェットで台湾に小籠包を食べに連れていかれた時に比べたら、長野は近所にも思えた。


良樹の富豪ぶりにはもう慣れたと思いつつ、景色を眺めているその横顔を見つめれば、私の視線に気づいてこっちを向いてくれた。

私たちは、防音と会話のためのヘッドセットを装着している。

口元の小型マイクに向け、彼が大きめの声で私に話しかけた。


「夕羽ちゃん、アレが俺の実家だよ」


「え、どれ?」と窓の下を覗き込むようにして、彼が指差す方向を見たが、家々は点状の集合体で、見つけられるわけがない。

駅や高速道路、東京タワーや木々の茂る大きな庭園などは判別できるけど、アレと言われてもね……。


「ふーん」と聞き流して、彼の実家への興味をすぐに失う。いや、あえて考えないようにしていた。

実家という言葉の関連項目のように、事業部の社員につけられた『派遣のシンデレラ』という変なあだ名を思い出したが、それも無理やり頭の片隅に追いやった。

非現実的なおとぎ話に心を揺らしていたら、今の楽しい時間がもったいない。

東京を出ようとしている眼下の景色を興味深く眺め、空中散歩を楽しむことだけに意識を集中させていた。



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